歴史教育のあり方についての具体論

松本 徹三

6月20日付の記事で歴史教育の重要性を論じたが、それでは具体的にどういう教え方をすべきかについてまでは言及できなかった。私は「現実的な具体案がなければどんな提言も意味がない」と常に考えている人間なので、今日は一つの具体案を提言したい。勿論、これは一つの案に過ぎず、文部科学省を中心に、色々な人が色々な案を出して、長短を議論しながら最終案を決めればよい。

  1. 中学、高校を通じ、毎週1~2時間を歴史教育に当てる。なお、「地理」(高校の「地学」は別)はこの教科の中に包含させる。

  2. 中学、高校共に、後述の「三つの時代」に分けた同一の構成とするが、中学では「基本的な歴史の流れ」と「重要な歴史上の出来事」を漏れなく教えるのに対し、高校では幾つかのテーマに絞り込み、ディベート等を取り入れて深く掘り下げる。
  3. 「世界の中の日本」を強く意識させる為に、全ての時代を通じ、世界史と日本史を並行して教える。近代以前の世界史については、「欧州」「東アジア」「その他の地域」に大別して教える。
  4. 現在の教え方とは逆に、現在から過去に遡っていく形で教えるのも一案ではあるが、やはり流れが不自然になるので、具体的には下記のような常識的な流れにすべきではないだろうか? 但し、現代史まで進まずに終わってしまっているケースが多い現状は全面的に改め、明治維新までは1年でカバーしてしまい、後の2年で明治、大正、昭和、平成を集中的にカバーする。
    • 1年目は「明治維新以前の日本と世界」をカバー。古代から近代に至るまでの2000年以上の歴史を1年で教えるわけだが、この部分では、世界史の比重が当然高くなる。日本については、前半で、縄文式社会の成立から豊臣秀吉の天下統一までを、後半で徳川幕府の成立から明治政府の成立までをカバーする。なお、年号等を暗記を求める事は、「現在との時間差」や「地域間の比較」を考える為に役に立つので、必ずしも無用とは言い切れない。

    • 2年目は、明治政府発足後の日本と同時代の世界をカバー。前半で日露戦争の終結までをカバーし、後半では、その後日本が戦争にのめり込んでいく過程を、欧州の政治・経済状況(特に世界大恐慌や共産革命)と関連付けながら深く検証していく。
    • 3年目は、第二次世界大戦終結から現時点に至るまでの世界と日本をカバー。ここでは、世界各国の憲法や政治体制と比較しながら、現在の「日本国憲法」や「日本の現在の政治の仕組み」についても教える。また、「経済問題」は各国の国民の生活を直撃し、それが政治体制を揺らがせる事が多いから、これについても詳しくカバーしていく。歴史上の全ての事象は、当然の事ながら、「現在起こっている事」と紐付けながら検証していく。
  5. 全体を通じて、どのような「史観」にも影響されない中立的な教え方をする。「事実」については正確を期し、はっきりしないものについては断定を避ける。単純に「起こった事柄」だけを教えるのではなく、その背景となった状況や、それを支えた思想にも当然言及するが、その評価については、「近隣諸国を含む外国人の見方」や「国内の少数意見」を含め、異なった考えを並列的に紹介する。また、これまでの歴史書は、それぞれの国を支配する為政者が「自らを正当化する為」、或いは「愛国心を鼓舞する為」に書いたものである事について、繰り返し注意を喚起し、真の世界史はこのような姿勢から脱却して書かれるべきである事を訴える。
  6. この教科の目的は、若い人達が「世界と日本で過去に起こった事を幅広く知り、そこから今後のあるべき姿を考える為の教訓を得る」為であり、歴史学の専門家を育てる事ではない。従って、「考古学」や「時代考証」の類はこの教科では重視しない(歴史学者の養成は大学に委ねる)。
  7. 全課程を通じて、若い人達が興味を持つような豊富な「映像教材」を作ってクラウドに保存し、教室で使うだけでなく、誰でもが何時でも自由にアクセスできるようにしておく。「副教材」として、異なった考え方の人達がパネルディスカッション形式で議論する映像も提供する。テレビや映画では、毎年夥しい数の歴史に関連したドラマ等が公開されているが、この幾つかは「参考教材」として解説付きで推薦されることが望ましい(最低でも100件ぐらいの「参考教材」が用意されるべきだ)。
  8. 教材の編纂には諸外国の専門家も招いて意見を聞くほか、全教材は全て英訳して全世界に公開し、日本が如何に「公正な歴史教育」に力を入れているかを喧伝する。併せて、近隣諸国を含めた世界の各国にも、同じようにする事を促し、若い人達に対する「国家目標を前面に押し出した偏った教育」が、近隣諸国間で無用な偏見や憎悪を増幅させないように配慮を求める。

さて、この問題を実際に議論しだしたら、先ずは、「好機到来」とばかりに、右派系の「国家主義的」或いは「民族主義的」な傾向の強い人達が、口角泡を飛ばして議論を主導しようとするだろう。それに対して、左派系や所謂「護憲勢力」の人達、更には近隣諸国のシンパの人達だけでなく、国家主義的な人達の「自国本位的(愛国的・排他的)」な議論に危惧を感じている人達も、負けじと反論するだろう。

恐らくは、全日本で異なった考え方の人達が先鋭的にぶつかり合う事になり、憲法改正の議論以上に、収拾のつかないような状態になるだろうが、これこそが望ましい状況だと私は思っている。このような根本的な考え方の相違をいつまでも放置していたら、お互いに自分達の中だけで盛り上がり、考え方のギャップは益々大きくなっていくだろうからだ。こういう事態になってしまうと、将来、「激烈なアジによる大衆の動員」や「ドグマによる問答無用の断定」で国を誤った方向に導く勢力に、力を与える事になりかねない。

逆に、時間を区切られて結論を出す事が求められたら、相互に何らかの妥協が必要である事を意識するようになり、そうなると、「相手方の議論も冷静に聞き、自分達の議論で片手落ちになっている部分については反省もする」という空気も生まれてくるかも知れない。自分達の議論が無視される事は絶対に許せない人達でも、両論併記ならあくまで反対は出来ないだろう。是々非々の議論をしたい「良識派」には、自ずと活躍の場が広がるだろう。

最後の評価は個々の若者達(中高生)に委ねられる。「こんなに大きな、そして難しい判断を、経験不足の若者達に委ねてしまってよいのか」と心配する人達も多いかもしれないが、その為にこそ、長い時間をかけて色々な知識を与え、「物事には複雑な多面性がある事」を一つ一つの事例を挙げて知らしめ、「正しい(公平な)判断とはどういうものか」という事も繰り返し教えていくのだから、最後は若者達を信じるしかない。何れにせよ、彼等はやがて選挙権をもち、彼等の政治判断が国の運命を決めていくのだから、これは当然の事だ。

最後に、前回の記事に対し、井上晃宏さんから「インセンティブはどう考えるのか」というご質問があったので、一応それにお答えてしておきたい。

先ず、この教科には「小論文」と「ディベート」を大幅に取り入れる一方で、高校と大学の入試においては、「歴史問題」にテーマを絞った「小論文」を「必須」とすべきだ。そうすれば、誰もがこの教科をないがしろにするわけにはいかなくなるから、これが何よりの「インセンティブ」になる。

次に、この教科は「面白いもの」になるべきだし、「歴史はドラマである」という厳然たる事実を考えれば、そうする事は十分可能なので、学ぶ側からすれば、これが大きな「インセンティブ」になるだろう。「面白い事」こそが、全ての「良い事」に到達する最良の道である。