銀行の支店では、店を閉めてから、一日のお金の出入りの勘定尻合わせを始める。この作業、恐ろしく厳格であって、一円でも合わなければ合うまで徹底的になされる。時には、夜遅くまで、大勢の行員が残って、一円の過不足の原因追求にあたる。日本の銀行経営の非効率の象徴として有名な、一円探しの残業である。
一円探しは、経済合理性の見地からは、説明がつきにくい。もしも、過誤の問題に過ぎないならば、一方向に損失が累積することは考えられず、各店舗で生じる小さな過不足は、一日のうちでは店舗間で、同一店舗では時間的に、相殺してしまうはずだからだ。少なくとも、毎日の勘定合わせの膨大な費用を正当化するような損失可能性は、想定しにくい。
おそらくは、この一円探し、行内の不正や過誤を徹底的に予防しようとするところから生まれた、一つの行内文化の醸成努力の結果なのではないのか。確かに、一円といえども完全に合わせなければならないという規律の徹底は、不正や過誤をあり得ないとするような、銀行らしい風土を育くむのに必要だったのかもしれない。
しかし、元を正せば、そうした経営風土が必要だったのは、顧客の信頼に応えるためだったはずだ。ところが、環境が変化する中では、顧客の信頼に応えるということの具体的意味も変るはずである。一方で、一円探しのようなことの徹底化を通じて形成された行内価値観は、強力な支配原理になり、ほとんど神話化してしまって、容易には変えにくい。
例えば、成田空港の銀行の窓口で両替すると、いちいち用紙へ記入させられ、しかも、窓口の行員と、後ろに座っている行員との二人を必ず経由する。こんなのは、日本の空港の銀行だけである。まさに、一円探し的な厳格さはわかるが、顧客の利便性からは、どうなのか。そんな手続きの必要性があるのか。
結局、銀行の一円探しは、行内の支配原理の再生産になっているだけである。結果として、変革対応力をそぐ格好になっているのではないか。しかも、日本の場合、銀行だけではなく、「一円の神話」的なものは、そこら中にあるのだ。どんどんと変貌を遂げていく社会環境の中では、旧態依然たる支配原理を墨守することは、極めて危険である。そろそろ、神話から目覚めなければなるまい。
森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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