日本国内の視点からは、もはや、日本株は見えない。あるいは、見てはならないのだ。世界の視点で日本株を相対化して見ない限り、日本株の価値は見えてこないからである。ゆえに、もはや、日本にいては、日本株はわからないのだ。
海外投資家が日本の株式市場に占める地位は、保有残高においても、取引量においても、極めて大きい。今の日本人投資家が日本株のある銘柄を割安と感じて買うとしても、海外投資家が、その同じ銘柄を国際比較において割高と評価して売るならば、一体どうなるのか。海外投資家の売買量が優越する日本の株式市場では、海外からの銘柄評価のほうが、より強い価格規定力をもつのではないのか。
もはや、日本の株式市場は、日本の市場ではなく、世界の株式市場の一部を形成するものなのだ。日本の株価は、日本国内の需給や国内の要因によって規定されているのではなく、世界全体のなかの相対比較によって規定されているということである。
日本語のできない外国人のアナリストやファンドマネジャが日本へ来て、英語で企業訪問などの調査をしたところで、本当の日本企業の価値などわかるわけがない、などという人がいる。本当にそうか。全く逆ではないのか。日本語しかできない日本のアナリストやファンドマネジャが、いかに、微にいり細にいり徹底的に、日本企業の調査をしたとしても、本当の日本企業の価値は発見できないであろう。
トヨタ自動車だけを徹底的に調べても、日本株の運用にはならない。日本の自動車産業全体の調査のなかで、トヨタの調査を位置づけるからこそ、日本株運用のための調査になる。トヨタについて100知ることよりも、トヨタと日産と本田について、それぞれ80ずつ知っていることのほうが、日本株運用にとっては、大切なことである。
しかし、もっと大切なことは、世界の自動車メーカー全体について、それぞれ60ずつ知っていることなのではないのか。そうだとすると、もはや世界の共通言語である英語を使って、全世界の自動車メーカーの調査を、同じ基準、同じ方法、同じ密度で行うことのほうが、株式運用の付加価値形成という意味では、はるかに有効であろうと思われる。
日本語ができない限り日本株はわからない、というよう株式市場であるならば、日本株の価値ない。英語で日本株がわかるというような市場にしない限り、日本株の価値は上がり得ないのだ。
森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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