政府は、NYTimesの「秘密保護法批判 に反論せよ!

北村 隆司

12月16日のニューヨークタイムスは「日本の危険な時代錯誤」と言う穏やかでない標題の社説を掲げ「特定秘密保護法」の国会通過に懸念を表した。


社説の主旨は :
(1)ゴリ押しで国会を通過させた。
(2)法律の文言が曖昧で政府の都合により何でも秘密に出来る。
(3)報道関係者が「不当」な方法で入手したり、秘密指定されていると知らない情報を得ようとしたりすることでさえ、5年まで投獄される可能性がある。
(4)与党自民党の幹事長が合法的にデモを行う人たちをテロリストになぞらるなど、言論の自由の理解不足が酷すぎ、安倍政権への懐疑心を大いにかき立てる。
(5)世論調査では82%が、廃案か見直すべきだと答えている。
(6)安倍首相が「この法律で日常生活が脅かされることはない」と語ったり、中谷元氏が「政府が関与する事柄と一般市民が関与する事柄は区別されるものだ」と言うなど、幹部が驚く程民主主義に無知である。
(8)自民党の憲法草案では「国民は自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」とし、さらに、総理大臣が緊急事態を宣言し通常法を一時停止する権限を持つとされている。

等の具体的な疑念を取り上げ「首相の目的は”戦後レジーム“からの脱却であり、1945年以前の国家を復活させようとする時代錯誤的で危険な思想だ」と言う安倍首相批判者の言葉を引用しながら、「安倍首相は1945年以前の国家を復活させようとしている時代錯誤的で危険な思想の持ち主であると断じている。

自立した国家として存続するには、何らかの「秘密保護」が必要な事は論を待たない。

英米等の先進各国でも安全保障に関する秘密保護の法制度が確立している様に、民主国家であっても安全保障上の国家機密を公開している国はなく、この社説も「秘密保護」の必要性その物を否定している訳ではない。

ニューヨークタイムスが批判しているのは、法律のお粗末さや国会審議の過程が成熟した民主国家の前提であるデュー・プロセス(法に基づく適正手続)からほど遠い事に加えて、有力政治家の稚拙な発言が続くと、予てから疑問に感じていた「日本的民主主義と先進民主国家の常識との違い大きさに対する疑問に火がついたのであろう。

これを誤解だと考えるのであれば、政府は早急に誤解を解く努力をすべきである。

日本の秘密保護を外国にとやかく言われる必要は無いと言う論議もあるかと思うが、以下の国産偵察衛星に関するエピソードでも判る通り、米国の理解無しには日本の「安全保障情報」は意味が無いのも現実である。

1998年に北朝鮮が発射した“飛翔体”(弾道ミサイルテポドン1号)の一部が日本の東北地方上空を通過して三陸沖の太平洋に落下した事件をきっかけに、日本でも他国(主として米国)のシャッター・コントロール(自国のに都合の悪い衛星情報を規制するシステム)に左右されない国産偵察衛星の保有を決め、1兆円以上の巨費を投じる事になった時に、米国の国防、国務両省の東北アジア安全情報専門家を囲んだ座談会に出席したことがある。

その時に聞いた専門家のコメントは今でも耳を離れない。

「これだけ巨費を掛けて情報量を減らす国も珍しい。と言うのは衛星情報で最も難しく重要な事は、”地域分析専門家”の分析と判断能力だが、出世本位の日本の官僚機構では転勤が多くて、専門家が全く育っていない。

また、この源情報を多角的な角度から分析判断する事も重要だが、安全情報を日本に伝える窓口の防衛庁(当時)が一番気にするのはその情報が他省、特に外務省に渡らない事で、そのため一番安心な方法として情報を「防衛庁内(当時)」に死蔵するだけで、折角の情報も全くが生きていない。

もちろん、米国に都合の悪い情報は例え友好国の日本でも渡さないにしても、専門家による分析力の実力が違いすぎて、如何に巨額の費用を掛けても日本の国産偵察衛星だけの情報では安全保障には余り役に立たない」と言うものであった。

この会には、外務、防衛をはじめ主たる官庁の在米担当者が出席していたが、一言も発言がなかった事も印象に残っている。

と言う事は、日本が必要とする多くの「安全保障上」の情報を手に入れるには、日本の民主主義の成熟度に対する外国、特に米国の「信頼度」を高める事は欠かす事が出来ないと言う事を示している。

その観点から見ると、ニューヨークタイムズの社説を一概に間違いだと断ずる訳には行かず、秘密保護法に対する米国政府当局の反応が好意的だからと言って、日本政府が米国有力メディアの批判に効果的な反論をしなければ、「慰安婦問題」のように日本のイメージと信用を傷つけるばかりになる事を恐れる。

2013年12月19日
北村隆司