岐路に立つ韓国

松本 徹三

朴槿恵大統領のセウォル号事件に関する謝罪会見は立派だったと思う。もともと彼女は非常に頭がよく、姿勢にブレがなく、また、常に何が一番重要なのかを掴むことにも秀でている。しかし、あまりにも原理原則に拘るその姿勢は、現実には自縄自縛をもたらし、結果として国民の利益を大きく害する事にも繋がりかねない。


中国への接近は現時点では韓国にとって合理的な選択肢の一つかもしれないが、その事が将来の韓国の命運を大きく狂わせる結果をもたらす可能性は大いにある。中国に対する依存度が雪だるま式に大きくなれば、韓国の産業界全体が次第に一党独裁下の中国の産業体系の中に飲み込まれ、韓国が独自に培ってきた技術力や産業競争力も次第に骨抜きにされていくだろう。数千年に遡る長い歴史を見ても、中国は韓国を常に一格下に見ることに馴れきっているから、韓国人にとってはあまり愉快でない状況になるだろうという事は、ほぼ確実と思われる。

この事は、東アジアにおける中国の覇権主義に警戒感を深めている日本にとっても他人事では済まされない。現在の日本では、嫌韓派の数が増え、「韓国は放っておけばよい。何を言われても気にする必要はないし、付き合う必要もない。何を約束しても裏切られるだけだから、何もしないのが一番良い」と考える人たちが多くなっているが、このような流れは、韓国にとって由々しき事であるだけでなく、日本にとってもマイナスが小さいとは言い切れない。

韓国では最近「反日」ではなくて「用日」、つまり「日本を敵視するのではなく、もっと利用することを考えるべき」という議論が生れてきているようだが、日本人の多くには「もうこれ以上利用されたくないので、お断りしたい」という考えのほうが強いだろう。日本人の多くをそこまで追いやった朴槿恵大統領の「反日原理主義」の責任は、矢張り相当に重いと言わざるを得ない。「日本との緊密な協力関係を構築しながら、民主化運動を弾圧した朴正煕元大統領の娘」というイメージを何とかして断ち切りたいという彼女の気持ちは分かるが、それによって国益を害しているのでは元も子もない。

しかし、私にとって残念なのは、「何故ここまで日韓関係が悪くなったのか」という理由を、よく理解している日本人が殆どいないという事だ。実は、その根元のところには、「抗日パルチザン戦争を戦った現在の朝鮮人民共和国こそが半島における正統な政権であり、さしたる思想的な信念もないままに日本の残した統治機構を引き継いだ李承晩や、軍事クーデターでこれを倒した朴正煕(日本の士官学校の優等生だった)が創った大韓民国の正統性には疑問がある」という考えがある事を、多くの日本人は知らない。

日本でも、いわゆる「進歩的文化人」と呼ばれる人たちが、戦後の長きにわたって、学生の多くやジャーナリスト、知識人たちに大きな影響力を持った。この基本は「共産主義、社会主義に対する憧憬」と「米国が主導する自由主義経済の世界的な拡大に対する反撥(これが植民地主義や帝国主義的な侵略戦争に繋がると考えられていた故の反撥)」だった。当時は冷戦のさなかにあり、多くの若者たちは「日米安保条約」を危険で邪悪なものと見做し、「非武装中立主義」(突き詰めれば「中ソ圏に組入れられる事を覚悟した上での安全保障体系」)を熱烈に支持した。

しかし、その後、当初喧伝されたような「理想主義」とは似ても似つかぬ「共産主義体制の専制的な実態」が明らかになる一方で、「自由主義経済で発展した西独と韓国」と「共産主義が経済を停滞させた東独と北朝鮮」のあまりに大きな格差も明らかになった為に、少なくとも日本ではこのような思潮は大きく後退した。「進歩的文化人」たちは概ね口を拭って、今は「護憲運動(空想的平和主義)」や「反原発運動」に従事する事によって辛うじて命脈を保とうとしているかのように見える(このあたりの事は2013年8月5日付の「誠実な人と不誠実な人」と題する私のアゴラの記事に詳しく書いているので、出来ればご再読頂けると有難い)。

このように、日本では左翼思想が大幅に後退したのに対し、日本をはるかに越える「反共思想」が長年にわたって国是だった韓国では、意外にも(というか「それ故にこそ」と言ったほうが良いのかもしれないが)この反対の現象が起こっている。韓国における左右勢力の乖離は一般の日本人の想像をはるかに超えるレベルのものであり、しかも、金大中から盧武鉉に至る長年にわたる左翼政権を支えた勢力の一部には、この中でも最左翼に位置する「北朝鮮直系の人たち」も含まれていたのだった。

事の始まりは1970年代に遡る。その頃の韓国では、朴正煕の軍事政権が、後に「漢江の奇跡」と呼ばれる急速な経済発展を実現すると同時に、民主化を叫ぶ勢力を問答無用で弾圧していた。その頃、北朝鮮の金日成主席は、韓国で共産主義革命を起こすべく多くの工作員を潜入させていたが、途中から路線を変更し、左翼思想に共鳴していた優秀な学生たちに抵抗運動から手を引かせ、国家公務員試験や司法試験に合格して官僚組織や法曹界に深く根を張っていくように指導した。

これらの若者たちは、主として金日成が提唱した「主体(チュチェ)思想」の信奉者となり、成人して指導者層を形成するに至った現時点でも、法曹界、教育界、言論界、ジャーナリズムに深く根を張っている。官僚機構や経済界で主導権を取るのは難しくても、保守派の政治家や経済界が軽視してきたこういう世界では、主導権を取るのは比較的容易だったからであろう。そして、これらの人たちは、かつて日本の「進歩的文化人」たちがそうであったように、次世代を担う若者たちの間に、今もなお大きな影響力を持っている。

これらの人たち以外にも、左翼勢力を引っ張る多数のグループが存在するが、その中でも特に過激なのは、文益煥牧師に代表されるような「解放神学派」であろう。元々貧しかった韓国社会では「奉仕精神によって貧者を支える」事をモットーとするキリスト教信者の勢力が強かったが、この人たちは北朝鮮に対する支援にも常に積極的だったし、最近では「慰安婦問題」に代表されるような「海外における反日運動の展開」にも熱心である。

「主体(チュチェ)思想」とは何か? 一概に論じるのは難しいが、突き詰めていけば、中ソ主導の共産主義運動に対抗する事を主眼とした「一種の民族主義思想」であると言えるだろう。金日成が抗日パルチザンの英雄だったというのは作り話で、実は満州を占領していたソ連軍の指導者がたまたま白羽の矢を立てた無名の人物に過ぎなかった事が、今や北朝鮮国外では公然の事実として知られているが、彼の政治的能力は相当なものだったと言えよう。

このような背景を考えると、韓国の一部と北朝鮮に共通して存在する一貫した価値観の流れは「民族主義」であり、それは、とりもなおさず、「日本の支配に抵抗した事に対する誇り」であるとも言える。

しかし、ここで問題なのは、北朝鮮では、それが仮に作り話であったとしても、一応のストーリーが語られているのに対し、韓国では語るべきストーリーが殆どないという事だ。つまり、韓国の建国の歴史は「ろくな抗日も出来ないままに時に流されてきたが、日本がたまたま連合国に敗北した為に棚ボタ式に現在の地位を得た」という屈辱的なものであり、それに加えるに「近年の経済発展も朴大統領時代の日本の協力によるものが多かった」という一種の「引け目」さえもがある事だ。それ故にこそ、韓国では、事ある毎に反日の姿勢を強調し、そのコンプレックスを克服したいという無意識的な動きがいつまでもなくならないのだろう。

サッカー場で韓国の若者が掲げた「歴史から学ばない国に未来はない」という趣旨の事を書いた「反日」目的のプラカードを見て、私はとても悲しい気持ちになった事を告白せねばならない。歴史からあまり学んでいない日本人が多い事は私も痛感しているが、それ以上に学んでいないのは韓国の若者たちではあるまいか? 虚構とドグマに溢れた「自国で教えられている歴史」を検証しようともせず、それが全てであると信じ込んでいるかのような韓国の若者たちは、本当に自国の為に良い将来を築く事が出来るのだろうか?

現在の北朝鮮の金正恩体制は極めて不安定で、明日にでも大変動が起きてもおかしくない。北朝鮮の現体制が崩壊する時に、強大な勢力を持った軍、更にはその中にある様々な派閥が、どのように動くかは予断を許さない。その影響を最も強く受けるのは韓国だ。韓国の若者たちは、そろそろ「過去のシガラミ」や「金日成の意を体した韓国版進歩的文化人の影響力のくびき」、それに「前世代の人たちの無意味なコンプレックス」から完全に自由になり、自らの頭で白紙から考え、感情ではなく理性で歴史を学び直し、国の将来を自らの手で築き上げて欲しい。