本田選手は4年後も中心選手でいられるか?

倉本 圭造

「サッカーという文化とグローバリズム、その中での日本代表だけでなく日本経済の戦い方」というようなテーマでネットに連載をしてるんですけど(第1回第2回第3回)。

最後の日本代表vsコロンビア戦、グウの音も出ない形で負けてしまった日本代表ですが、敗因という意味で大きくくくれば、第2回で書いたような「現代日本のアドレナリン過剰な組織マネジメントの問題」ゆえの、攻めはするけど攻め切れない決定力不足ということになるように思います。

また、「なぜそうなってしまうのか?」をより深く理解するには、第1回で書いたような、「日本国内の”野球的文化”との矛盾があって腰が定まりきらない」という問題があって、でもだからこそ「サッカーが分析的に捉えられる世界的トレンド」ゆえに日本代表の今後の活路もあるはずだ……という話が重要であるように思います。

そして、今後4年間を占う上で決定的なのが、「勝ち切れないビミョーな戦い」を勝ち切る決定力を持つ「スター選手」とはどういう存在なのか、について書いた第3回の内容でしょう。

というのも、本田選手が今後どういう存在になっていくのか……が、今後4年間の日本代表チームがどうなっていくのか? に大きく影響を与える『選択』になるからです。


サッカー日本代表には、普段あまり興味が薄い「日本のお茶の間」との間を象徴的につなぐ「顔」となる選手が、(主に興行的な理由から)求められます。ある時期は三浦知良氏でしたし、ある時期は中田英寿氏でした。2010年南アフリカ大会の直前ぐらいまでは中村俊輔氏でしたから、彼がメンバーから外された時の「お茶の間の驚き」というのは結構あったように記憶しています。

そしてこの4年間大きく日本サッカーの「顔」としての位置にあったのが本田圭佑氏であったことは間違いないと思います。今大会中も1ゴール1アシストの「活躍」でした。

しかし、逆に本田選手を「中心」にしすぎることで、攻撃がワンパターン化され、また彼のところからボールを奪われて失点することも少なくない結果となりました。

ここのあたりに、第3回で書いたような「スター選手という存在をめぐる難しさ」があるんですよね。

厳しいことを言うならば、本田選手は「本田選手を中心としたチームづくり」をしてもらっている以上は「勝利までチームを導く」責任があった……という言い方もできるかもしれません。

つまり、誰かを「スター選手」に押し上げるのならば、その「スター選手」”で”勝ち切るぐらいでなくてはいけないわけです。

そのレベルまで押し上げることができればチームは迷いなく機能し、「流れ」に乗った攻撃が一線を超えて得点に繋がるところまで行けたりする。しかし、中途半端に「スター的」な扱いを受けつつ、その選手が「絶対的中心」とまでは行けない状態の場合、「流れ」が寸断されて余計にあちこちがギクシャクする結果になってしまうんですね。

今後の日本サッカーの4年間ということを考えると、もちろん本田選手自身のクラブでの活躍如何にかかっているとはいえ、この「本田選手に纏わる”スターの矛盾”」にどういう結論が出るのか・・・・が、大きなイシュー(その問題がどうなるかによって全てが変わってくる決定的な問題)となるでしょう。

結論から言うと、日本代表は、「絶対的中心選手という幻想」自体から自由になっていく必要があると私は考えています。

いわゆる「司令塔」「トップ下」に、全てを差配する絶対的な選手がいて、あらゆるプレーがその選手起点で動いていく・・・的な「キャプテン翼」風の理解から自由にならないと、我々はそれぞれの世代の特定の選手に「幻想の絶対的中心」の重責を負わせては、その選手の良さをも潰してしまうという結果に終わりかねません。

それは単純に、「そういうキャラ」の選手が時代とともに減ってくるだろうということもあります。

三浦知良氏の時代、ラモス瑠偉氏、中山ゴン氏、最近では田中マルクス闘莉王氏、そして本田圭佑氏・・・のような「人格的リーダーシップ」的な部分を担う選手は、下の世代になるに連れて徐々にいなくなっていくように思います。

部活でなくユース出身の選手が増えていくこともあるのかもしれませんが、その分確実に「個々人のテクニック」はどんどん上がっていっていくことになるので、我々は「物凄くテクニックはあるが、”絶対的な人格的リーダーシップ”のようなある種”前時代”的な影響力はあまりない」選手たち(最後に一瞬だけ出た清武選手のような)に合った方向性の模索が今後必要になるのは逃れられないでしょう。

しかしその分、うまく行けばそれぞれのキャラクターをお互いちゃんと理解しあって、どこが中心というわけでなく融通無碍に動くチーム……という形で、今回の大会では目指したけど実現できなかった「自分たちのサッカー」というものも実現していくように思います。

ただし、この流れの中で、今まで「絶対的中心」のポジションにいた選手が担っていた「野心」や「攻撃性」といったメンタリティをどうやって保つのか……という点については、今までとは違った形での「算段」が必要になってくるでしょう。

今大会で、グループリーグ終了時点で世界的に意外だと騒がれたのがスペイン代表の敗退でした。サッカーについて詳しくない人のために解説すると、スペイン代表は前回優勝チームで、その前後あたりから昨年のコンフェデレーションカップに至るまで国際試合29連勝……とか言うレベルの強豪だったんですよね。

それが、初戦でオランダ代表に5-1という大差で完敗し、その後良さを出せずにチリにも負けて敗退が決まりました。

その他でも印象的だったのはドイツ代表がポルトガルに4-0の大差で完勝した試合などもあって、今大会は「北方ヨーロッパ新教国の試合を俯瞰で見ているようなプレースタイル」が、「南方ヨーロッパおよび南米の積み上げ型のプレースタイル」の良さを分析的に潰すことで勝利するシーンが多いように思います。

その辺りは、第1回の連載で書いた「サッカーの野球化」トレンドの一貫として見れば日本代表にとって良い流れと言えます。

ただ、そのオランダやドイツの選手は、あまり「スター」という感じではないんですよね。むしろチーム戦術の延長でガッチリ仕事をするプロフェッショナル、いわば「マシーン」のような選手たちです。

カトリック系の本能的なサッカーをやっている国からは、クリスチャーノ・ロナウド、メッシ、ネイマールといった、「スター」的な選手が必ず出てきます。

日本は敗退してしまいましたが、今後の大会はそういう「マシーンvsスター」という戦いなのだと思って見ると面白いかもしれません。

ただ、日本代表の選手が、「マシーン」と「スター」のどっちが向いているかというと、スターに向いている・・・というよりも、純粋に「マシーン」として争うには身体能力的な面で弱いんですよね。何十メートルと独走してディフェンダーを振りきってバコーン!みたいな選手が今後日本に出てくるかどうかは疑わしい(もし出てきたらそれこそ”戦術=その選手”でやってもいいぐらいではあります)。

むしろ、今回の大会で目指していた「いわゆる自分たちのサッカー」のような、「一瞬の動き出しの機敏さやお互いの空気を読む能力の傑出性を活かした、細かいパス回しからの得点パターン」に、他と差別化された自分たちの可能性があることは疑いないと言えそうです。

しかし、その「自分たちのサッカー」にこだわりすぎて近視眼的になってしまい、攻撃がワンパターン化したり、消耗してカウンターを受けたり……という結果になるよりは、もう少し俯瞰的に試合を見て色んな攻撃の選択肢を持っていくようなサッカーをしていく中で、「自分たちの持ち味」を出していければ……というところに活路はありそうです。

ある意味で「マクロに見た戦術を理解したマシーン」的な要素を持ちながら、その延長としてそれぞれの持ち味を柔軟に発揮させられる「スター」的な動きを組み込んでいく……のが、今後日本代表が目指すべき道でしょう。

そして、そういった今後4年間の日本サッカーの課題と表裏一体となる、我々普通の日本人の働き方の課題で言うと、これはいわゆる「すり合わせ型vs組合せ型」の経営戦略の矛盾の克服……ということになります。

「すり合わせ型」というのは、仲間内での濃密なコミュニケーションで細部を詰め切る力を利用して、特殊な精密部品や自動車生産などの世界で勝つ日本企業のあり方を言い、「組み合わせ型」というのは、グローバリズムの中でデジタルに理解できる範囲の中で出来る限り身軽に動いて「その時々のマクロに見た最善」を実行していく戦略のことです。

過去20年間の日本企業に対する紋切り型の批判は、そういう「身内の細かいすり合わせ作業」に没頭するあまりそれがシガラミとなり、特に部品が共通化されて違いが出しにくくなった電機産業などで「組み合わせ型」の戦略を取る競争相手にボコボコにされてしまうんだ……というものでした。

たしかに、

「仲間内のすり合わせ」にこだわりすぎて「マクロに見る視点」が薄くなってしまい、「全然意味のないところ」で「濃密な工夫」とやらに熱中して結局結果に繋がらない

というふうにまとめると、これは過去20年の日本経済のありようだけでなく、今回のワールドカップにおける日本代表の問題を、あまりにも的確に言い表してしまっているように見えます。

で、それは事実認識として正しいんですが、そこから先「じゃあどうするのか?」という点で、日本人が特性を活かすにはどこかで「すり合わせ的な能力」をうまく使うしかない……という点を無視してしまっているんですよね。

つまり、「すり合わせを一切やめて、組み合わせだけで戦う」ようになっていくと、「組み合わせ方式」的なものに骨の髄から適合している国に勝てなくなってしまうんですよ。

なので、我々日本人が「今の状況」から一歩先に行くには、ただ一方向的に「全否定的な批判」するだけじゃあダメなんですよね。

「マクロ的に見た戦略」を適度に利用しながら、「今まさにこの瞬間こそすり合わせ的価値を出すぞ!」という「両取りできる場」を作っていくことが、日本経済と日本サッカーが今後集中するべきポイントなんですよ。

つまり、

「自分たちのサッカー」を目指すのは良いが、その「自分たちのサッカー」が有効に発揮できる状況自体はかなり「意識して戦略的に作ろうとする」というバランスを実現すること

です。

しかし、こういうのは言うは簡単だが行うのは難しい。それをバックアップする「風潮」がないと、「あくまで自分たちのサッカー派」vs「どこの国にも当てはまる一般論的な否定派」の果てしない平行線になってしまって、「選手たち」としては自分たちの良さが完全否定されないようにするために、多少盲目になってでも意地を張って「自分たちのサッカー」さんと心中してしまうことになります。

戦犯探しは良いけれども、「なんとか出そうとしてきた良さ」を活かしていくぞ、という一貫した視点は失わないようにしたいですね。

「全否定」的な風潮が高まれば高まるほど、中心にいる選手たちは意固地になって惰性を続けるしかなくなってしまうメカニズムがどうしてもあるからです。

第2回で書いたように、私の本を読んだある経営者さんが

「倉本さんの本を読んで一番心に残ったのは、経営っていうのは、何か特別な作戦を考えなくちゃいけないというのではなくて、むしろ参加者の力をできるだけ発揮させる”場づくり”に集中しなくちゃいけないんだ、っていう原点を思い出せたことですね。何をやるか・・・ということを考えるときも、結局誰にでもできることじゃなくてほかならぬ自分の会社に参加している社員の特性から考えていかなくちゃいけないんだなと思い直しました」

言っていたんですが、こういう「発想」自体を深く広く共有できるようになっていく時に、やっと我々は「幻想の絶対的中心選手」に頼る必要がなくなるし、「惰性の自分たちらしさ」を脱ぎ捨てることも可能になるわけです。

「マクロに見た戦術」を、「場作り」的な発想の中に溶けこませることが大事なんですよね。そしてそうやって「考え尽くして設計した場」の中では、いくらでも「日本人らしいすり合わせ的な細かいサッカー」を見せつけてやればいいわけです。

そういう「バランスの取れた方向性」を「風潮」レベルで持つのはなかなか難しいことですが、しかし第3回で書いたように、「グローバリズムの行き過ぎを是正したい」という世界的風潮と、「そうはいってもそれ以外にやり方が見つからない」という混乱の中で各地で紛争を起こしている現状の中に、「両者の良いとこどりの文化」を成立させていくのは「日本の使命」ですから、「国内派」と「グローバル派」の日本人が別々に目指してきたものが「結果として一致する流れ」をうまく使うことで実現させられるはずなんですよね。

第3回と同じメッセージをあなたに送ります。

自動車の大量生産方式を考えたのはアメリカ人ですけど、世界で一番精緻にそれを使いこなせるようになったのは日本人です。

よね?じゃあ、

グローバリズム的システムを考えたのはアメリカ人ですけど、世界で一番精緻にそれを使いこなせるようになったのは日本人です。

ってなれないわけないですよね?

そういうチャレンジの中で「自分たちならではの勝ちパターン」を日本経済が見出していければ、日本サッカーが「幻想の絶対的中心」をぶちあげて意地を張る必要もなくなり、いつの間にか欧州リーグでプレーする選手が全然珍しくなくなっていた世界の延長で、「あたらしい日本らしさ」が提示できるサッカーも花開くでしょう。

4年後が楽しみですし、その4年後の日本経済も、楽しみですね!

日本代表は敗退しましたが、今後もこの連載は続ける予定です。投稿は不定期なので、更新情報は、ツイッターをフォローいただくか、ブログのトップページを時々チェックしていただければと思います。

ちなみに、この話はすでに私の著書「21世紀の薩長同盟を結べ」の中で1章を割いて詳述したものを、今回のワールドカップの話題を織り交ぜながら書きなおしていく試みなので、ご興味があればそちらをお読みいただければと思います。(この記事における”両者”の存在を幕末の薩摩藩と長州藩の連携に例えて、その性格や考え方が大きく違う2つの勢力の間の”薩長同盟”の成立が、現代の日本においてもあたらしい持続的な発展への鍵となる・・・という趣旨の本です)

倉本圭造
経営コンサルタント・経済思想家
公式ウェブサイト→http://www.how-to-beat-the-usa.com/
ツイッター→@keizokuramoto

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