中韓の「ディスカウント・ジャパン運動」と東アジアの未来志向(中) --- 半場 憲二

アゴラ

(上)より続く

3.日本国民への挑戦

(1)謝罪外交からの転換を
黙っていたら相手の言い分を認めたことになってしまう。ましてや何かやらかし、謝ってしまうと許されるどころか、追い討ちを掛けて罵り、叩かれてしまう。魯迅は打落水狗 (da luo shui gou)といったが、中国に何年も暮らしていると本当にそう感じる。大勢に囲まれ、逃げるに逃げられず、公衆の面前で大声で罵られ、時が過ぎるのを待っているだけの可哀相な人を何度も見たことがある。だから多くの人々は、謝らない。謝ったとしても、それは表面上のことであって、心の底からは謝らない。謝るというのは面子を失うこと、つまり彼らにとって「死」と同然なのである。だから逆を言えば、何者かを謝らせることに関しては長けているのである。

上海師範大学の留学時代に各国からやってきた学生たちがそうだった。ちょっと遅刻したときには「ごめんなさい」と言うのだが、比較的重大な約束を破ったとき、或いは故意ではないけれども約束が守れなかったときなどは、途端に白を切ろうとする。


これが国際社会の現実なのではないか。まず自己主張し、そこから折り合いをつける。簡単に謝罪などしない、何度も謝らないのが「普通」なのではないか。あまり言いたくないけれど、日本の美徳である「沈黙は金(雄弁は銀)」「潔さ」など日本人同士だけにしてほしい。世界では特異なだけだし、通用などしない。

外務省ホームページを見ると、

わが国の韓国に対する経済協力は、65年の国交正常化時に締結された経済協力協定に始まり、円借款を中心に実施されてきたが、その規模は韓国の経済発展に伴い70年代後半にかけて減少した。その後、83年の中曾根総理(当時)訪韓に際し、新たに7年間で18.5億ドルを目途とする円借款を供与する旨表明され、累計3281億円(約18.49億ドル)が供与された。同借款供与の終了にあたり、韓国経済が概に援助からの卒業段階に達しているとして、対韓円借款供与は以後行わないことが確認された。

とある。

戦後の日本は、1953年から1965年までの間、世界銀行からの借款を受けていた。その返済を終えたのが1990年7月、つい24年前のことである。つまるところ、日本は経済成長に資する国内の社会資本を整備(代表的なものが東海道新幹線、東名高速道路)する一方、韓国や中国をはじめ、発展途上国に対して有償・無償の資金援助、技術協力、プロジェクト支援を開始していたわけで、その額のみならず、膨大な時間と労務を提供してきたのである。

日本から経済協力、すなわち事実上の「戦後補償」を受け入れ続けてきた韓国だが、日本に謝罪を求めるたびに見返りが要求できたわけだから、外交交渉のひとつの「手段」としたのは当然であろう。しかし、物事には限度ってものがあろう。
 
ところが、韓国軍がベトナム戦争中にやった非人道的行為や韓国政府が強制管理しながらアメリカ軍人に提供した韓国人女性の「人権侵害」は棚に上げたままである。現代においても「女性の人権」は改善されていない。韓国人女性の多くが海外渡航をしながら売春に従事する実態――日本で働く韓国人売春婦は3万人以上といわれ、世界各地へ「遠征売春」に向かう女性たち、「人身売買」に巻き込まれる恐れが否定できない韓国人女性の数は更に多くなる。一体、韓国人女性の生活、人権状況はどうなっているのかと、私は逆に朴槿恵大統領に伺いたい――には目をつむり、ディスカウント・ジャパン運動に邁進する姿は滑稽でさえある。

その意味で、今年6月、日本政府が「旧日本軍の関与と強制性を認めた河野洋平官房長官談話の検証結果」を公表したのは、今日の日本の「名誉侵害」に対する当然の自己防衛措置である。公表した以上、日本は国際社会へ積極的に発信し、能動的な行動をとる必要があるわけだが、日本政府の対応をうけ、韓国の慰安婦被害者問題を担当する女性家族部は、2015年7月までに『慰安婦白書』を発刊するとの意気込みで、公正公平な記述など期待できまい。

アメリカの複数の都市における慰安婦像の設置や世界記憶遺産に登録を目指そうとする行為をみれば明らかであるが、上記に示したとおり、言っていることとやっていることの落差が大きすぎるから、韓国が大騒ぎし、その輪を広げるほど、日本以外の識者がその非合理性を指摘するに違いなく、その傾向は韓国内からも、少しずつ出始めている。

水に落ちた犬は打て――。諸外国の非難の的とされ、三度謝罪し、追い討ちを掛けて罵られ、血税を叩き、時が過ぎるのを待つだけの哀れな「日本」となるか。次世代の日本国民ためにも、政治外交に携わる者、政策遂行責任者の知恵が試される。

(2)日韓 未来志向の崩壊
韓国や中国によるディスカウント・ジャパン運動は、私の父母の時代、また祖父母の時代から必死に造りあげ、守り抜こうとしてきた家族、地域、この国の文化の体系を壊し、戦後日本の歩み、アジア諸国のみならず、国際機関を通じ直接的・間接的に経済協力を実施し、すなわち国際社会の発展および安定に貢献してきたことを軽視するものである。

韓国は地政学的に見ても、経済や科学技術の面から見ても、日本との関係を疎遠にするような外交政策をしてはならないはずである。もっといえば、統一朝鮮をみずから主導する気があれば、テリトリー・ゲームをやめようとしない中国やロシアなどの軍事大国の脅威、北朝鮮の暴発を阻止するためにも、その抑止力となる在日米軍基地が最大限機能するよう、沖縄県民だけではなく、日本国内の基地のあるその他26都道府県民、在日米軍駐留関連経費負担者(公表ベースで2014年度6711億円)である日本の納税者に敬意を払えとまでは言わないが、良好な関係を保っておいても罰は当たるまい。何のご機嫌とりか知らぬが、習近平国家主席の訪韓にあたり、韓国内で「尖閣諸島は中国領土」などと絶対にやってはならなかったのであり、お笑い好きの日本国民だが、もはや冗談は通じない。

「国民は利益の侵害は許しても、名誉の侵害、中でも説教じみた独善による名誉の侵害だけは許さない。戦争の終結によって少なくとも戦争の道義的な埋葬は済んだはずなのに、数十年後、新しい文書が公開されるたびに、品位のない悲鳴や憎悪や憤激が再燃して来る。(中略)政治家にとって大切なのは将来と将来に対する責任である。ところが「倫理」はこれについて苦慮する代わりに、解決不可能だから政治的にも不毛な過去の責任問題の追及に明け暮れる。政治的な罪とは――もしそんなものがあるとすれば――こういう態度のことである。
 (『職業としての政治』岩波書店、p84)。

これまでの日本の努力を認めぬ、戦後日本は謝罪をしておらぬと言わんばかり。時計の針を戻すことばかりに必死で、韓国は今、政治的な罪を犯し続けている。現代はひとたび戦争をすれば「総力戦」の時代であり、国民的な支持が必要である。ディスカウント・ジャパン運動を展開する韓国に、どうして日本国民が手を差し伸べられようか?

韓国の貿易額のうち中国との貿易額が4分の1を占める中、ドル両替による損失を回避するのに、人民元との直接取引きの開始は必要だとは思うが、尖閣諸島をめぐってわが国と競り合う中国に急接近し、中国との未来志向を共有している。日本国民のプライドを傷つけることにエネルギーを注ぎ、有事の際、在日米軍基地を最も必要とする韓国が、米国と中国の間で曖昧な態度をとることとなる。このような状況下、日米韓三カ国の緊密な連携が望めるわけがなく、日本が独自の防衛体制を構築するのは自明の理である。

(下)へ続く

半場 憲二(はんば けんじ)
中国武漢市 武昌理工学院 教師