中韓の「ディスカウント・ジャパン運動」と東アジアの未来志向(下) --- 半場 憲二

アゴラ

(中)より続く

4.集団的自衛権の行使容認 

(1)積極的な対外発信を
7月1日、集団的自衛権行使を可能にするため憲法解釈を変更する閣議決定が行われた。 内閣官房の国家安全保障局に法案作成チームが設置され、約30人体制で関係省庁と連携しながら法案作成が進められる。「万全の備えをすること自体が、日本に戦争を仕掛けようとするたくらみをくじく大きな力を持つ」。安倍首相は記者会見でそう述べた。

今回の閣議決定を受けて、安倍首相の掲げる「積極的平和主義」は五合目に差し掛かったところである。7月2日午前、自民党の高村正彦副総裁は、「閣議決定したからといって集団的自衛権が行使できるわけではない。法律を作ってはじめて自衛隊を動かして集団的自衛権を行使する国会の意思が確定する。これからが勝負だ」と記者団に述べた。


安倍政権の支持率が前月比6.4ポイント減の44.6%に落ち込んだが、これら一連の動きは来年春の統一地方選挙にて間接的に「国民の反応を探る」ことになり、今がふんばりどころである。問題は国際社会への発信である。

ここで鳥飼玖美子女史の著書『歴史をかえた誤訳』(新潮文庫、2004年)を紹介しておきたい。

「外交上の誤訳とされるもの、コミュニケーションの失敗例とされるものはいくつかあるが、その中で最もたるものは、ポツダム宣言に対する日本側の回答で「黙殺」とあるのをignoreと訳したことだろう。」(p24)「もし日本側が自らrejectという訳語をあててしまったなら、これは「拒否」以外のなにものでもなく、誤訳というレベルを越えた、外交上の大きな誤りとしかいいようがない。」(p27)「いずれにしても、国家の命運がかかっているようなこれほど大事なメッセージの翻訳をどういった状況のもとで、誰が行ったのか。訳語を決定するまで、どの程度悩み、慎重に考えたのか」(p28)。

これらの言葉は、流血の伴わぬ、もう一つの戦争に対する戒めとなろう。戦争とは、勝っても負けても悲劇に違わないが、加害と被害との両側がある。結果的に加害者となる側の意図をまったく汲まなかったことによって、結果的に被害者となる度合いを高めた、ということはある。

「鈴木首相の発言は、『ただ黙殺するだけである。我々は戦争遂行にあくまで邁進するのみである』とある。強い表現であるし、当時の状況ではそのくらいの強い言葉を使わざるをえなかった国内事情もあったのだろうが、追い詰められていた戦況を考えると、『相手にしないことにより自分の高さを保つ』という微妙な心理は日本人としては理解できる。ただし、それが外国人に伝わるかどうかは別問題である。」(p32)

日本が日本語という独自の言語をもち、国際社会へ発信するときは、受け手の歴史的・社会的・文化的な背景まで汲み取っておかねばならないという宿命にある。また「察する」「推し量る」などという日本人独特の言動は、外国人にはほぼ伝わらない――否、むしろ悪用されるということを前提としなければならない。 

これまで多くの要人発言が誤訳されて海外に伝わり、日本の国益が損なわれたこと、或いは多くの要人発言が誤訳されて日本に伝わってくることによって、双方の国益が損なわれ、同盟国間に疑義が生じたことは、少なくないのである。

1970年、日本とアメリカの両首脳は、日米繊維交渉と沖縄返還交渉を抱えていた。首脳会談に望んだ佐藤栄作首相が使った「両三年中」「善処します」という言葉に、ニクソン大統領は期待をしたが、いつまでも約束を果たさない日本に対し、裏切られたと落胆し、その後、日米関係は二度にわたるニクソン・ショック――(1)1971年7月、事前通知のないまま米中国交回復が発表される、(2)同年8月には「新経済政策」とし、ドルの切り下げ、関税の一律10パーセント追徴が発表されるという、戦後最悪の日米関係を迎えた。

その後も、安全保障や経済交渉などの国益をかけた重要な会談で放たれた「不沈空母」や「封じ込め」「運命共同体」といった言葉をめぐり、誤訳やコミュニケーション・ギャップといったレベルを超えた、「同盟」という名の「無理解」といってもいいような摩擦が、両国間に生じている。

「ひとつの言葉が受け手に与えるイメージの大きさと強さ、そしてその言葉が一人歩きを始めたときの危うさと恐ろしさは、けっして過小評価するべきではない。」(p82)「それぞれの歴史的・社会的・文化的な背景を基盤にしているから、同じ言葉であるはずなのに双方が違ったことを頭に描いている、ということは起こりえる。」(p83)。

こうした問題は、通訳や翻訳にあたる者としての責任は重大に違いないが、それよりも政治外交に携わる者の高いコミュニケーション能力は言うまでもなく、歴史を変えるかも知れぬという言葉の重み、まさに国益を背負った「言葉の戦争」という覚悟が必要である。

(2)対米追随外交 過信は禁物
幸い、日本には超党派の日米同盟強化のための議員連盟がある。美辞麗句を排し、言いたいことを言い、反論されてもなお、「それでも…」と迫り、相手の反応を探る良いチャンスである。何でもかんでもシンプルに考えようとする方々の思考方法もどうかと思うが、「日本人は何を考えているのかわからない」という、こうした状況は絶対に避けなければならない。

日米の議員連盟に所属する議員は、この集団的自衛権の行使容認の閣議決定を皮切りに、国内の法案作成過程や日米両国の今後の展望について、議員連盟及び議会、政策形成に影響力をもったシンクタンク、世論に影響力を持つマスコミとの積極的な交流を図るべきである。

とはいえ、アメリカの時の政権が、あらゆる会派を無視し、自国の国益を第一に考え何でもやるという危険性は、1971年のキッシンジャーの「忍者外交」で証明されている。当時、彼は周恩来首相との会談で、「日米安保条約は日本が軍事的に暴走するのを抑えるためにあるのであって、日本に対する米中の姿勢は同じだ」と述べた。

城山秀巳氏によれば、「天安門事件で米議会が対中強硬姿勢で緊張している中、ブッシュが派遣したのはスコウクロフト国家安全保障担当大統領補佐官とイーグルバーガー国務副長官で、彼らは北京の米大使館にも連絡を取らず、ワシントンで秘密訪中を知っていたのはブッシュとベーカーだけだった。米中接近の契機となった71年のキッシンジャー国家安全保障担当大統領補佐官の極秘訪中を上回る秘密主義だった」と、中国钱其琛国務医院・外相(当時)が回想しており、さらに「しかもこの20数時間のスコウクロフト秘密訪中はその後半年近くも公にならなかったのである」(前掲書p107参照)という。

当のキッシンジャー元国務長官は2013年3月25日、北京の人民大会堂において李克強国務院総理(当時)と会見をしている。このように、現在でも水面下におけるアメリカと中国共産党との共闘体制は健在とみなすべきであろう。それを承知の上で、日本が日米同盟を強固なものとしつつ、憲法改正に向けた準備を着々と進め、価値観――危機感といってもいいが、これらを同じくする諸外国との連携が求められている。

おわりに

7月3日と4日の両日、中国の習近平国家主席は国賓として訪韓し、朴槿恵大統領と2度目の首脳会談を行ったが、中国は5月から日本の訪中団を積極的に受け入れるなど、対日強硬姿勢の緩和に動きはじめた部分もあった。また中国が手塩に掛けてきた北朝鮮が、このタイミングで日本に急接近してきたのだから、インパクトが乏しいものとなった。

日本政府が北朝鮮に対する独自制裁の一部解除を決めたことについて 中国外務省の洪磊副報道局長は3日、「日朝の協議を通じた関係改善が地域の平和と安定に有益をもたらすことを望む」と述べている。6カ国協議の議長国として面子をつぶされながらも、日本のアメリカ離反、日米関係に疑義を生じさせるものであるから、早々歓迎の意を表明したわけである。

韓国のキリスト教団体によってはじまった「ディスカウント・ジャパン運動」が韓国政府、中国共産党、アメリカ社会へと広がりをみせる中、今回の集団的自衛権行使容認の閣議決定は、台湾を含め、アメリカやオーストラリア、EU諸国の支持を受けた。日本が集団的自衛権の行使容認に傾いたことは、日本国民の防衛思想にも大きな影響を与え、「日本に戦争を仕掛けようとするたくらみをくじく大きな力」を持ち得ることを、中国内の報道をみていて実感する。

今後、韓国と中国が連携し、次々に公開する戦中戦後の資料や物証の数々は、それに対する日本の反証を可能とするし、戦後日本の国際社会に対する取り組みを、沈黙を破り、あえて言挙げしてもよい環境が訪れた好機ととらえてよいだろう。

というように、所詮、ディスカウント・ジャパン運動は、国家の外交政策とはなりえず、国益がせめぎ合う国際社会においては、その連携は一筋縄にいかない。かような運動に総力をあげるような国家の近未来も高が知れているが、反作用の力が働き、日本国内の結束を固めるのに貢献してしまっている。

魯迅が説いた打落水狗 (da luo shui gou)とは、負けた相手に温情を与えると、やがて敵は復活して攻撃を仕掛けてくるから徹底的に打てというもので、当時の戦乱の世相を風刺している。韓国は日本を蔑み、皮肉にも、みずからの手を噛まれるという愚を冒した、と言えるのである。集団的自衛権の行使を可能とする日本に今後、自国の運命を委ねるのである。

私は悲観をしていない。ディスカウント・ジャパン運動、おおいに結構である。

日本を訪れるまでは「反日闘志」だったが、留学して日本人の礼儀正しさや遵法精神、近所に住む老夫婦の思いやりなどから、考え方が180度転換し、「(自分を変えた)日本が怖くなった」と呟いた韓国の友人がいる。

また中国のある友人は、国会議員秘書時代の仲間が北京や上海を旅行すると、団体旅行の合い間を縫って面会したにもかかららず、「スパイ活動」と言って憚らない御仁だったが、留学後、日本企業に就職し、東京に住み着いてしまい、北京に帰ろうとしないでいる。髪の毛を染めたり、日本人のような話し方などを見ていると、それはそれで彼自身が日本社会に溶け込もうと必死なスパイのようにも思えてくるのだが、すっかり変わってしまったのである。

それより何より、自分の教え子たちが東京や関西の大学で専門分野を研究したり、語学学校で日本語を学び、アルバイトや旅行にでかけ、日々成長する姿を見るたび、私は喜びを感じる。

(北朝鮮難民対策については、中国は北朝鮮との二国間協定どおり、脱北者を難民と認めておず、不法入国者として送還するだろうし、西蔵や新疆をみればわかるように少数民族を中国化すること、56の民族を束ねるのに精一杯である。国内政治が不安定化するため、人道的見地にたった難民受入をするとは思えない。そのとき日本が韓国に代わって、北朝鮮からの難民を「ある程度」受入れる準備をしておくべきかもしれない。)

(今月21日、海上自衛隊と米韓海軍による3カ国合同海上訓練が公海上で実施されたが、これはいい傾向である。日本の集団的自衛権行使容認の閣議決定や、15日の参院予算委員会で安倍首相が「戦争など朝鮮半島の緊急事態発生時に在日米軍基地から米海兵隊が出動するには、日本政府の了承がなければならない」と発言したことをうけ、韓国側に現実的な対応をとる勢力が散見されはじめたのは評価できる。)

半場 憲二(はんば けんじ)
中国武漢市 武昌理工学院 教師