イスラム国にどのように対応すればよいか?

松本 徹三

前回の記事を書いた直後に、イスラム国による湯川さんと後藤さんの殺害予告が出た。いつかはこういう事が起こるのは防ぎ得ないとは思っていたが、あまりに早かった。湯川さんは民間軍事会社の仕事をしておられた由なので、その危険は常にあったわけだが、後藤さんは「日本は欧米諸国のようにイスラム国と直接対決する立ち位置ではないので、自分が殺されるような事にはならないだろう」と信じておられた節があるので、現状は大変痛ましい。


イスラム国の考えは、「西はスペインから東はインドまでを、ムハンマドが生きていた頃のイスラム社会に戻す。イスラム教に改宗しないものは殺し、当時と同じ戒律に従わないものは鞭打つか殺す。女性が教育を受けるなどという事はもっての外だから、女学校などは全て破壊する。女性は顔を見せてはならない」という事なのだから、これは「世界がこれまでに作り上げてきた文明や価値観の全否定」であると考えざるを得ず、イスラム教については殆ど何も知らない大方の日本人にとっても、とても容認出来ない事は言を俟たないだろう。それだけでなく、「このような考えを持った『国』は壊滅させるしかない」という考えにも、異論を唱える日本人は少ないだろう。

(ちなみに、私は、今回のイスラム国の脅迫に対して早速安倍首相に注文をつけた「お調子者」の山本太郎さん、及び、先回の選挙で彼に投票した人たちに、今回のものを含む一連のイスラム国の言動について、
1)彼等の言動に激しい怒りを感じ、このような集団は何としても壊滅に追い込むべきだと思う。
2)容認出来ない。
3)理解出来るので、容認する。
4)欧米諸国の陰謀を打ち砕き、世界に正義と平和をもたらす為に、彼等の行動を強く支持する。
の何れかを四択で答えて貰いたいと思っている。暴力を公然と肯定していた元中核派の山本太郎さんなら、もしかしたら第四択かもしれない。)

しかし、仮に日本人の大半がイスラム国に激しい怒りを感じているとしても、「それに対して国としてどのように対応するか」という問題に関しては、意見は若干異なるかもしれない。私の見るところ、意見はざっくりと二つに分かれるような気がする。

第一のグループは大略下記のように考えるだろう。

1)日本人は世界の文明社会の一員として、その考えを明確に述べ、相応の責任を果たすべきだ。

2)具体的には、それによって仮にテロの標的にされるリスクがあるとしても、欧米諸国と同一歩調を取り、敢然とイスラム国の脅威に立ち向かうべきだ。

3)もしそうしなければ、日本人は卑怯者と見做されるだろうし、「安全保障の双務性」を理解していないとして、アジアにおいて日本が脅威にさらされた時にも、欧米の支援は受けられにくくなる事を覚悟すべきだ。

これに対して、もう一方のグループは、下記のように考えるだろう。

1)イスラム過激派を生んだ現在の中東の混乱は、そもそもは欧米諸国の利己主義によって蒔かれた種から生じたものであり、この地域に関して手を汚していない日本は、ある程度は欧米に同調するとしても、一心同体である必要はない。

2)卑怯者の誹りは受けたくはないが、出来る限りテロの標的にならない工夫はするべきだ。

3)中国の覇権主義の脅威から日本は逃げられないが、それにはそれとしての対策を考えるべきであり、「イスラエルとパレスチナ(アラブ)の対立」や「十字軍以来のキリスト教とイスラム教の確執」や「宗派対立を抱えたシリアやイラクの政治情勢」については、局外中立の立場をとるべきだ(米国に全面的に迎合すべきではない)。

というところだろうか? 「今回の中近東諸国への支援の申し入れは、米国に受ける事を狙った安倍首相のスタンドプレイであり、不要不急だった」と批判する人も中にはいるかもしれない。

私自身は、心情的にはどちらかといえば第一のグループに属し、この件で安倍首相を批判する気持ちは毛頭ないが、第二のグループの考えも一概に否定したくはない。「欧米諸国は自らが作り出した問題を自ら解決すべきだ」という気持ちも若干はあるし、状況が複雑な中近東地域などでは、安倍首相に不要不急の米国向けの点数稼ぎ等はあまりして欲しくない。

このような立場から、これから日本が国として何をすべきかを私として考えるなら、大略以下のようになると思う。

1)日本はイスラム国の諸般の行動をとても容認出来ない事、また日本は如何なる場合でもテロには屈しない事を、先ずはあらためて世界に向けて明言する。

2)その上で、あらためて「日本は人道的な見地から、イスラム国支配地域の周辺に避難した難民の生活を支援する為にあらゆる努力を惜しまない」事を表明。先に周辺国に対して約束した2億ドルも、直接、間接的にその方向で使用される事を期待する旨表明する。

3)これに関連して、「自国民の安全と経済的利益が不当に害されない限りは多国間の紛争には関与しない」事が日本の基本的な立場である事を説明。併せて、「以和為貴」という聖徳太子の十七条の憲法の第一条を紹介し、紛争を抱える諸国が全力を挙げて平和的な解決を図る様、強い希望表明を行う。

4)但し、上記のすべての意思表明にもかかわらず、日本人が世界各国でテロの標的になる事はもはや避けられない事を、日本国民全体として認識し、特に中東地域で活動している日本人には注意を喚起する(私自身も気をつけなければならないと思っている)。

5)現在人質となっている日本人の救済については、上記の原則を外さない事を前提に、あらゆる方策を考え、水面下で最大の努力を行う(安倍首相がそれを引き受けてくれる限りは、具体策の一切は安倍首相に一任し、事の成否に関わらずその行動を支持する)。

6)上記の如く、日本の対応は米国の意に必ずしも百パーセント応えるものにはなり得ない故、米国のコミットメントを強く求めなければならないアジアにおいては、万事につき極力米国の意を汲んだ言動を心がける(北朝鮮への対応や靖国参拝問題等では、特にこの様な配慮が必要となる)。

なお、この機会に、日本人ももっとイスラム教について知るべきだと私は考える。私自身も、かつて和訳されたコーランのほんの一部を読んだことはあるし、スンニ派とシーア派の違い程度までは理解してはいるが、キリスト教やユダヤ教との間の本質的な違いがどこにあるのか等という事は知らないから、もっと勉強しておかなければと思っている。日本の後背地である東南アジアだけでも、インドネシアに2.6億人、バングラデシュに1.5億人、マレーシアに3千万人、これにフィリピンの南部、シンガポール、ブルネイなどを加えると、4.5億人近くのイスラム教徒が住んでいることになるのだから、これは重要な事だ。

※2015年1月26日12時、加筆修正