タカタ問題から眺める、信頼付与ベースの危険性

玄間 千映子

この記事、指摘が違っているのではないかしらん…?

…エアバッグの調達先をタカタ1社に集中していたリスク管理の甘さもさらけ出した。…

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150221-00000028-jij-bus_all

米国でタカタのエアバッグを搭載した車が軒並みリコールになっている。「品質は日本」の看板を世界に掲げる日本の日本人として、苛つく気持ちでこの問題を眺めているが、それに関するこの記事はエアバッグの調達先をホンダがタカタ1社に依存したから、タカタの問題に思いっきり引き込まれたのだといっている。

つまり、1社だったためにリスク分散が出来ていなかったことが問題だとしているようだけれど、問題は違うんじゃぁないですか?…といいたいのです。

私には「エアバッグの調達先をタカタ1社に集中していた」ことが、問題だったのではなく、ホンダがタカタの製造過程における品質管理に関心を持たなかったことが問題ではないか、と映るのですよ。

ホンダは、タカタ1社に絞り込んだことが問題だったのではなく、1社に絞り込んでいたにも関わらず、そこが提供する部品の精度、生産体制に関心を持たなかったことが致命傷になったのだと思う。

そうであるとするならば、この記事に従って取引先を複数にしたところで同じ事が起きるように思う。

日本企業間のビジネスモデルは相互信頼をベースにしているからこそ、粘り強い構造を維持できているのだけれど、そうした関係も昨今の外資や外国人役員などの登場によって、信頼付与は無料のプレミアムという風に変化しているかも?

ひょっとしたら、ホンダはタカタ1社にすることで、全幅の信頼関係を構築できていると思っていたのかもしれないが、世界シェアを誇っている一方のタカタにとってはそれほど大事な取引でもなかったかもしれない。

失いたくない取引であれば、供給先は信頼関係を損ねまいとするものだが、もちろんこうしたことはタカタの側の内部事情なので、ホンダでは知るよしもないことだ。

もとより、日本企業が行う相互の信頼付与は、それはそのまま顧客重視であり、顧客という市場の確保であった。一端それを崩したら回復の余地がないことを意味していたのである。

しかし、他国では様子は違う。
喩え失った顧客であっても、それとの信頼回復ではなく、販売価格で攻勢をかけてくる。

企業文化はそれぞれではあるけれど、昨今の企業のグローバル化は日本企業であっても、取引の解釈が少しずつ違ってきている可能性があるのではないかしらん、と思う。