安保法案反対デモの笑劇

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毎日新聞によれば、安保法案に反対する国会前集会に1万5000人以上(主催者発表)が集まったそうだ。主催者発表で1.5万人ということは、実際にはその1割ぐらいだろう。彼らがモデルとしている60年安保の反対運動は、こんなちゃちなものではなかった。

1960年6月には社会党・総評の国民会議の統一行動に560万人が参加して国鉄が運休し、ほとんどゼネストの状態になった。国会デモのピークとなった6月15日には33万人(主催者発表)のデモ隊が国会を包囲し、樺美智子が圧死した。岸信介は、このときの心境をこうのべている。

樺美智子の死亡事件によって私は最後の決断をしたんです。反対派のデモによって盟邦の大統領に危害が加えられるとか、アイク[アイゼンハワー米大統領]を迎える天皇陛下に何かあったということになれば、総理大臣として本当に死んでも償いがつかないということで、アイク訪日の断念を決意したわけです。


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デモ隊が国会構内まで乱入したのは、GHQが警察の予算を削減し、警備力が落ちていたためだった。この状態で米大統領を迎えると不測の事態が起こりかねないと考えて岸はアイク訪日を断り、6月19日に新安保条約が自然成立したあと、岸内閣は総辞職した。

だから岸は安保改正の責任をとったのではなく、これ以上の混乱を回避するために退陣したのだ。彼は「安保改正を有効に成立せしめるのは、日本で俺一人しかいないんだと、殺されようが何されようが、これをやることが日本のために絶対必要であると思っていました」と語っている。

おとといのEconomist誌の会議で、岸が安保改正について「50年たったらわかってもらえる」と語ったという安倍首相の話が心に残った。もしあのとき彼が改正しなければ、アメリカは日本国内のどこにでも基地を置けるが日本を防衛する義務を負わない不平等条約がそのまま続き、集団的自衛権どころか個別的自衛権も危うかっただろう。

マルクスは「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は笑劇として」と書いた。60年安保のデモは岸政権に衝撃を与えたが、今回の国会デモは笑劇にもならない。かつて安保で挫折した青年は企業戦士となって高度成長を支えたが、今の笑劇を演じている学生の将来に待っているのは、フリーターの未来と、年金ももらえない貧困の老後である。