安倍談話にせよ安保法案にせよ、戦後70年たっても戦争について気持ちの整理ができない(一定の年齢以上の)日本人には困ったものだ。安倍談話は村山談話とあまり変わらないものになりそうだが、他方で自民党の稲田政調会長は「東京裁判や占領政策などを検証するための党内機関」を発足させるという。
こういう「歴史修正主義」と「自虐史観」の対立は、もううんざりだ。彼らに共通に欠けているのは、ここ20年ぐらい新しく発掘された近代史の事実と歴史観の変化についての理解である。ここでは、そういう本を紹介しておこう。
- 川田稔『昭和陸軍全史』1~3
- 杉之尾宜生『大東亜戦争 敗北の本質』
- 長谷川毅『暗闘』
- 日暮吉延『東京裁判』
- 福永文夫『日本占領史1945-1952』
- ジョン・ダワー『吉田茂とその時代』
- 『岸信介回想録』
- 坂本多加雄『天皇論』
- 野口悠紀雄『戦後経済史』
- 細谷雄一『歴史認識とは何か』
1は従来の「軍部が議会を無視して暴走した」という通念を否定し、陸軍の中にもそれなりの戦略があったが、その齟齬と派閥抗争が競合して思わぬ結果をまねいたと論じる。2のいうように、日米開戦は彼らにとっても予想外であり、まったく戦争計画のないまま戦争に突入した。この背景には、日本を世界戦争に巻き込もうとする米ソの意図もあったと3は論じる。
東京裁判はA級戦犯だけに責任を押しつけて天皇と一般国民を免罪する政治的儀式であり、今さら「検証」するのはナンセンスだ、というのが4を初めとする現代史の通説だろう。5も書くように、GHQの占領政策は、当初は苛酷な変革を求めたが、冷戦の開始にともなって大きく軌道修正し、日本にとってはプラスだった。
「戦後レジーム」をつくった吉田茂と、それに反対した岸信介に対する評価はいまだに定まらないが、吉田のとった日米同盟ただ乗り路線がその後あまりにもうまく行き、それが日本人の「平和ボケ」の国民性に適合したため、一時的につけた仮面が顔から離れなくなった。岸はそれにいらだっているが、彼ほどの腕力もない安倍首相ではこの状況を変えるのは無理だろう。
新憲法の制定のとき最大の論争になったのは天皇制という「国体」の護持だったが、結果的にはそれは大した問題ではなかった、と8は総括している。むしろ9もいうように、戦時中の国家総動員法でつくられた「1940年体制」が、産業政策や社会保障などの負の遺産として今も残り、国民負担はこれから激増する。これこそ本質的な問題なのだ。
しかし与野党ともこういう厄介な経済問題を避け、安保問題で空中戦を続けている。10もいうように「戦前の日本が軍国主義という名前の孤立主義に陥ったとすれば、戦後の日本はむしろ平和主義という名前の孤立主義に陥っているというべきではないか」。アメリカ中心の世界秩序が新興国の台頭によって大きく変わる情勢を踏まえ、政治も経済も戦略的に考える必要がある。