資産の配分を考える前に、まずは、資産を分類し、分類されたなかから投資対象を選択し、そして最後に、選択されたものの投資配分比率を決める、論理的には、そのような過程を経るべきものである。
当然だが、分類と選択こそが、配分以上に重要な問題である。分類と選択を見直さずに、配分だけを取り上げて議論することに、意味はあるまい。
資産は、どうとでも分類できる。分類という作業は、論理的・系統的に、大きな分類から、小さな分類へ降りていくものである。故に、どのように系統立てるかによって、どうとでもなる。例えば、株式・債券という資金調達における資本構成上の地位、国内・外国という地域(そして、同時に通貨)、その他、何でも。
ところで、資本市場のグローバルな実質的統合のなかで、国別分類は有効でなくなりつつある。株式と債券という分類すら、資金調達手法の高度化により、現在では、曖昧になっている。さて、何か、新しい軸を考えねばなるまい。
どういう軸を考えるにしても、二つの論点ははずせない。
第一の論点は、ガバナンスというか、投資の意思決定構造との関連である。年金基金等の資産運用を例に取ろう。投資の全体の意思決定は、運用委託者の基金と、運用受託者の運用会社に分属している。一般に、銘柄選択レベルの意思決定は運用会社に属し、資産配分の意思決定は年金基金等に属すのが普通である。資産の分類は、どうとでもなるのだから、分類を変えることで、年金基金等と運用会社の意思決定の分担も変えられる。
エマージング株式を例にとれば、エマージング株式を一つの独立した資産として、その配分を年金基金等の意思決定とすることもできるし、エマージング株式を含めた全世界の株式を広義のグローバル株式として括ると、そのグローバル株式への配分が、年金基金等の意思決定になって、エマージング株式への配分は、委託を受けた運用会社の判断になる。
一般に、資産分類を広く大きくすれば、運用受託側の運用会社の意思決定範囲が拡大し、逆に、狭く細かく分類すれば、運用委託側の年金基金等の意思決定範囲が大きくなる。従って、分類方法の問題は、資産運用の技術論であると同時に、年金基金等の経営におけるガバナンス論でもあるのだ。
第二の論点は、分散効果の問題である。資産間の相関の高まりによって、分散投資の効果が低下している可能性が指摘されている。この問題、市場構造の問題のように受け止められているのだが、それは間違いである。正しくは、分類方法の問題として捉えるべきなのだ。
もともと、資産分類は、特性の違うことを前提に区分しているのである。故に、論理的に、資産分類は、相互に異なるように、つまり、分散効果が出るように、なされなくてはならない。分散が有効でなくなるのは、資産の問題ではなくて、分類の問題なのである。
現に、グローバル株式という新しい分類などは、国別分散効果の低下を前提にしている。グローバル株式のなかで更に分散効果を考えるときは、当然だが、もはや国という基準は出てこない。業種とか、テーマとか、規模とか、そういう新しい分類基準が考え出されるのである。
市場の構造が変われば、当然に、資産の分類も見直さなければならない。旧態依然たる分類に従ったままで、分散効果の低下を論じるのは、おかしなことである。投資は、もっと創造的な営みでなければならない。
森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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