アフリカの人口爆発は防げるか?

結論から言えば、防ぐ方法は全くないとは言えないと思う。もしそれが防げないとなれば、この問題はこれからの世界の安定的な経済成長にも深刻な影響をもたらすだろうから、我々日本人もこの事を本気で考えるべきだ。

「文明社会の将来にたれ込める暗雲」と題する前回の記事で、私は主としてテロの問題を論じた。「民族」と「宗教」の対立が、中近東と欧州を舞台にテロの応酬を生み出し、それがどんどんエスカレートしていく事に対する恐怖を訴えたかったからだ。そして、テロに走らざるを得ないところまで人々を追い詰める遠因としては、「貧困」と「格差」がある事も述べた。

従って、どうすれば世界規模で「貧困」と「格差」を最小限に留めおけるかを考え、その為の行動をとるかは、日本を含む世界中の国々が、今後真剣に取り組むべき問題であると思っている。勿論、それは容易な事ではない。一方で食料とエネルギー資源は有限である事が知られているし、その一方で人口爆発はこのままでは簡単には抑えられそうにないからである。この二つの事が正されない限り、「貧困」と「格差」はいつまでも拡大を続けるだろう。

有限な食料とエネルギー資源をどのようにして極限にまで効率的に使うかについては、また別の機会に論じるとして、今日は「人口爆発」の問題につてのみ語らせて頂きたい。

そもそも、長い人類の歴史の中で、ごく最近に至るまでは、人口は徐々にしか増加してきてはいなかった。各地域間の物資の移動が限られていた為、それぞれの地域での食料生産能力を超える人口増はあり得なかったからだ。この為、西暦1年の時点で推定1億人だった地球上の総人口は、1000年後でも2億人に増えただけだった。

しかし、18世紀後半に産業革命が始まると、この様相は一変する。欧米各国が植民地獲得競争を加熱させると、世界中のあらゆる地域で、多くの人たちが生存の為にぎりぎり必要な最低限のお金を手に入れる事が出来るようになり、これによって世界人口は爆発的に増加、その数は1900年には16億人、現時点(2015年)では72億人にまで達するに至った。

近年においては、巨大な人口を抱えていた中国が「一人っ子政策」を遂行して、人口増加率を0.48%に抑えるに至った他、日本、ドイツ、ロシア等25カ国では人口は減少、米、英、仏、ブラジル、メキシコ、韓国など75カ国でも、人口増加率は中国同様の1%未満に抑えられた。

また、インド、インドネシア、バングラデシュ、フィリピン、ベトナム、トルコ、エジプト等67カ国での人口増加率は1%を超えるが、2%未満には抑えられているので、人口増加による貧困の加速を心配するより、経済発展による生活水準の向上を期待する向きの方が多い。

しかしながら、人口増加率が2%を超えるパキスタン、ナイジェリア、エチオピア、コンゴ、ザンビア、スーダン、ソマリア、イラク等の50カ国、更には3%を超えるカタール、アフガニスタン、ウガンダ、シリア等の13カ国になると、人口増加は深刻な心配の種になる。そして、これらの国の殆どは、中近東とアフリカに集中している。

中でもサハラ以南のアフリカ諸国では、平均出生率(一人の女性が一生に産む子供の数)が現時点で5.2人であり、この為、現時点で10億人(世界の総人口の約14%)と言われているこの地域の人口は、2050年には23億人(世界の総人口の24%)にまで達するだろうと推定されている。24%は「ほぼ4人に1人」だから、これが意味するものはかなり大きい。

何が心配かといえば、食料不足ではない。アフリカ諸国の色々な人に聞いてみても、意外に食料のことは心配していない。アフリカ大陸、特にサハラ以南には、サバンナの砂漠化が進む一部の地域を除き、農地を開拓できる余地は十分あると考えているようだ。

彼等が心配するのは、むしろ、独裁者の暴政、不安定で腐敗した政治、及びそれが引き起こす内乱など、人為的な問題だ。急激に増加した人口が農村に留まる確率は低く、人口の都市集中は急速に進むが、そこで若者たちがギャング化したり、そこが内乱の舞台となったりする事を何よりも心配している。

また、仮に或る国が優れた指導者に恵まれ、安定した政治を行っていても、周辺国で暴政が行われれば、多くの難民が国境を越えてその国に流れ込む。追い詰められた人たちは生き残るために何をするかわからず、治安は極度に悪化するだろう。

中近東や北アフリカの難民は欧州を目指すが、サハラ以南のアフリカでは、欧州にはとても行けないので、周辺のよりよい国を目指すしかない。しかし、これが結果としてアフリカ全土の政治を不安定なものにすれば、欧州も、更には遠い日本までもが、その影響から自由ではいられないだろう。

さて、冒頭でも触れた事だが、アフリカ諸国の現在の極端に高い出生率を、低下させる為の方策はないでもない。

現在の高出生率の理由は、
1)「子供に教育を受けさせる」という考えは元々無いので、「子供は金のかかる存在ではなく、むしろ親の労働負担を軽減する存在」という意識が強いこと。
2)「乳幼児の死亡率が高いので、子供は大勢産んでおかねばならない」という潜在意識があること。
3)他に楽しみがないこと。
等々であるから、この意識を変えてもらうように誘導する施策をとればよいのだ。

具体的には、
1)保健・医療の体制を確立し、その事を多くの人たちに熟知せしめる。
2)給食付きの教育施設を整備し、低年齢の子供たちの就労を抑制する。
3)モバイル・インターネットを普及させる。
等々が考えられる。先進諸国はこの為に物心両面での支援を惜しむべきではない。

モバイル・インターネットというと、私の専門分野なので、私がそれで何か利益を得ようとしているのではないかと勘ぐる人もいるかもしれないが、勿論そんな事はない。モバイル・インターネットの普及は、あらゆる発展途上国において、比較的安いコストで大きな効果をもたらす良い施策であると、私は信じて疑っていない。

いつでもどこでも、誰でもが種々のインターネットサービス(eMBMSという技術を使った放送サービスも含む)にアクセスする事が出来るようになれば、低所得層の情報リテラシーを飛躍的に高め、これによって政治参画意識も高める。更には、教育の質を高めて上級校に進める子供たちの数を増やし、多くの人々の保健・衛生意識を高め、医療の質を高めて希望を増大させ、種々のエンターテイメントを用意して日没後の楽しみも増やす事が出来るから、人口抑制の為にも大きく役立つと思っている。

さて、これらの施策の為に資金を拠出した先進諸国が、その見返りとして求めるべきものは何か? それは「汚職と暴政を防ぐ為の政治監視権」ではないかと思う。多くの国では、放置すれば、「暴力が権力の源泉となり、権力は必ず腐敗して人権を抑圧し、更に格差を拡大して、貧困層を最貧の状態に抑え込む」可能性が極めて高いからだ。

しかし、ある程の強制力を伴った「政治を監視する権利」と言えば、短期間で終了する「選挙の監視」等を除けば、例えそれが純粋な善意によるものであっても、「内政干渉」と批判される事を防ぎ得ないだろう。だから、これを「教育と医療の支援」とパッケージにして、一種の「経済的な取引」とした方がよいのではないかというのが私の考えだ。

この惑星は、100億人近くにまで膨れ上がる人口を支えるには、少し手狭になってきている。そうであるならば、隣人に対して無関心である事は、もはや許されないという事だ。また、遠く離れた地域で起こった事であっても、その影響は津波のように広がり、我が身にも及んでくるという事を、あらゆる人が常に十分に認識していなければならない。

日本を含めた世界中の先進諸国は、今こそ地球上の全ての地域の問題に共同して積極的に関与し、種々の問題の芽を早い時点で摘み取り、バランスのとれた世界を作り上げていく努力をするべきだ。今からすぐに始めれば、手遅れになる事は防げるだろう。