国家、文化、企業、ビジョン

161205

企業とは何か。どのような形態や事業内容であろうとも、何らかの原理に従って組織化された人の集団であることには、間違いない。故に、企業が何であるにしても、それは、人と、人の組織化の原理とで規定されるものである。

国家とは何か。それが何であろうとも、人と、人の組織化の原理で構成されるものであることに間違いない。さて、国家を構成させる組織化の原理は何か。建国の神話か、建国の戦いの歴史的事実か、いずれにしても、何らかの共有される記憶、それを文化と呼ぶならば、文化的統一がなければ、国家はなりたたない。ちなみに、記憶が文化であるのは、将来に向かって不断に記憶が生成され蓄積されて、内包を豊かにし続けていくという意味においてである。

文化には、歴史という時間の軸だけではなく、地域という空間の軸もある。そもそも、地域的範囲を画さない国家というものは考え得ない。ある地域に住む人々の長い歴史の記憶、同じ地域内に共住してきたからこそ共有されてきた記憶、その記憶の及ぶ範囲が物理的な国家の範囲なのである。

さて、企業においては、空間の限定がない。故に、企業の発展の可能性は大きい。このことは極めて重要である。いつの日か、人類の叡智は、絶えざる進歩の結果として、国家の制度を廃止して、地球という世界市民社会にたどり着くことだろう。そこへ至る変革の経路は、国家間の利害の調整の結果としてではなくて、国境を桎梏と感じ始めた世界企業の活動によるのであろう。

こうした可能性をもつ企業の組織化の原理は何か、あるいは何であるべきか。国家と同じように、文化という共通の記憶、生きて増殖する記憶がなければならないが、それは、地域のなかに限定されない。限定されないが故に、自由すぎて、文化の共通性を保ちにくい。国土という物理的で具体的なものがないと、抽象的にすぎて、文化に求心力が出ない。

いうまでもないが、その具体的なものを、現に行っている事業の内容に求めることはできない。それでは、企業の変革など、起き得ないからである。故に、ビジョンか。それが今どきの経営学の通説だろうか。しかし、ビジョンは、具体性がないと、見えるがごとくにならないから、定義により、ビジョンにならない。見えるくらい具体的なものは、具体的にすぎて、企業の変革力の源泉にはなるまい。

 

森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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