話題になっていたので、ついカーっとなって『キャスターという仕事』(国谷裕子 岩波新書)を読んだ。今では後悔している。
不思議な本だ。別にみんなの評価と逆のことを言って目立とうとしているわけではないのだが・・・。あまり心に響かなかった。とはいえ、思わず気になって読んでしまう。いや、国谷裕子さんの自叙伝としては面白い。ただ、番組作りにしろ、国谷裕子さんの本音にしろ、内情や胸の内を読者だけに赤裸々に語ってくれるのかというと、そうでもなく。その寸止め感が何かに似ていた。それは『クローズアップ現代』という番組そのものではないのか。
長寿番組なるものは不思議なものだ。メディアをめぐる環境が変化し、様々なものがスピーディーに見直される中、その中で続く番組というのは何らかの理由がある。とはいえ、その「何らかの理由」なるものが曲者だ。決して番組が優れているわけではないし、圧倒的な人気があるものでもない。田原総一朗の、田原総一朗による、田原総一朗のための『朝まで!生テレビ』などはわかりやすい例だ。低俗なお笑い番組も続いている。スポンサー筋の関係だってある。いや、相対的に人気があっても、かつての輝きや勢いが失われている場合だってある。
なるほど、クロ現はスゴイ、と言いたくはなる。国内外の政治家、気鋭の論者に光をあて、発掘してきた。90年代前半に始まったという時期の関係もあるが、政治、経済、社会の変化も捉えてきた。格差の拡大などはまさにそうだ。本書にもあるとおり、派遣社員の増加と格差の拡大などについては番組は何度も取り上げてきた。
インタビューでも斬り込んでいる。取材対象の関係者などから「この質問は避けるように」と言われても問いかけるなどのことはしてきた。そのあたりに、国谷裕子さんの魂を確かに感じはした。問いかけることを辞めては、ジャーナリストやメディアの存在意義はないからである。
もっとも、この国においては、そんな当たり前が成立していないことがこの本によって可視化されたし、さらに言うならば、クロ現や国谷裕子はこれだけ斬り込んだと主張したそうで、実はこの程度しかできていなかったという敗北宣言のようにも聞こえた。それは、NHKという、国営放送のようでそうではない不思議な存在だからこそできることでもあり、限界でもある。
なんというか、意地悪な見方だが、NHKはスゴイ、クロ現はスゴイ、国谷裕子はフロントランナーだったと言いたそうで、実は番組というか、日本のジャーナリズムの限界点を物語った本なのだと思う。それが国谷裕子さんや、クロ現関係者、出版社である岩波書店の思惑だったとしたならあっぱれなのだが。
もっとも、時代と向き合うこと、問い続ける姿勢などを世に問うたことは本書の評価できる点である。国谷裕子さんファンにはたまらないし、読み物としては面白い。
国谷裕子さんすごい(そしてかわいそう)、クロ現スゴイではなく、あえてひねた目で読むことをオススメする。そういう読み方をしてこそ、日本のジャーナリズムの限界がよく分かる本だ。うむ。
編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2017年3月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。