連続ドラマ「ひよっこ」の時代に戦後初の国債発行を行った理由とは

久保田 博幸

NHK番組公式サイトより(編集部)

NHKの朝の連続テレビ小説「ひよっこ」の舞台は茨城県である。私の両親が茨城出身であり、「ひよっこ」の時代(昭和39年、1964年)の頃の私は6歳、夏休みなど両親の実家に遊びに行ったが、まさにあの田舎の風景であり、あの茨城弁であった。ドラマにあった肉の代わりに魚肉ソーセージの入ったカレーライスも食べた記憶が残っている。

「ひよっこ」の主人公の父親は東京に出稼ぎに言っている間に失踪してしまうが、当時の農家の長男は出稼ぎに行ったり、次男や三男は集団就職等で都会に働きに出ていた。当時の東京は東京オリンピックを控えて、新たなインフラが整備されて大きく変わろうとしていた。「ひよっこ」の主人公の父親は霞ヶ関のビル工事をしていたが、当時、東海道新幹線や首都高速道路、東京モノレール、そして黒四ダムといった大型の公共工事が次々に行われていたのである。高度成長を迎えたことで税収も増加し、むしろ需要超過傾向となっていたことで財政面からの刺激を与えないようにと、1965年当初予算までは均衡予算が組まれていた

しかし、東京オリンピックが始まった1964年10月ごろから景気は急速に冷え込み、後退局面に入った。中小企業の倒産が増加し、株価も下落、企業収益も減少し、それが顕在化したのが1964年の後半となった。

1965年に入ると、サンウエーブや山陽特殊製鋼など大手企業の破綻が相次ぎ、株価も急落し続け、信用不安も広がりをみせた。信用不安に対しては、山一證券への日銀特融が実行されたことで収まったものの、株価の下落は続いた。これがのちに40年不況と呼ばれたもので、日銀による金融緩和の効果もなく、結局、財政面からの公共事業が促進されることになり、戦後初めてとなる国債発行が準備された。

1965年7月、佐藤栄作首相、福田赳夫蔵相のもと、政府は財政投融資の増額と、特例国債(赤字国債)発行を内容とする昭和40年度の補正予算を決定した。同時に昭和41年度の予算編成における建設国債の発行も決定した。

こうして1966年1月に、戦後初めての国債が、期間7年、利率6.75%で2千億円発行されたのである。次いで1966年当初予算から本格的に国債が導入され、建設国債6750億円が発行された。3月からは大蔵省資金運用部による国債の引受も開始された。これにより歳入を全額、税収などの収入で賄えた均衡予算主義は崩れさり、この年以降、財政に国債が組み入れられる財政新時代を迎えることになったのである。


編集部より:この記事は、久保田博幸氏のブログ「牛さん熊さんブログ」2017年4月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。