安倍首相が憲法9条改正と2020年の施行を目指す考えを表明したことに与党内が揺れている。石破茂前地方創生担当相は、党内で憲法改正に関する議論を深めるべきとの見解を示し、岸田文雄外相は派閥の会合で「今すぐに改正することは考えない」と述べている。
改憲議論が高まる中、憲法に関心を持つ人も増加傾向にあるようだ。憲法関係のビジネス書も数多く発刊されいくつかはベストセラーになっている。これは、2年前の安全保障関連法制の成立が起因となっている。日本の歴史のなかの大きな転換点に多くの人が注目したのである。10年前であれば考えられない様相だろう。
「憲法」と「自民党憲法改革草案」を比較すると見えてくるものがある。
「我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する」。これは、自民党憲法改革草案前文に記載されている文章である。「我が国は世界の平和と繁栄に貢献する」と読み解くことができる。
しかし次のように解釈することもできる。
「我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し」の部分である。「大戦」と「幾多の大災害」は同列に位置することはできない。「大戦(戦争)」とは人為的なものであり人が引き起こすもの。「幾多の大災害」のなかには人為的なものもあると思うが、災害は自然がもたらすのが一般的な解釈といえよう。
叡智を結集させて災害予測や発生した際の被害を軽減するための施策を講じることはできるが、災害そのものをゼロにすることはできない。つまり不可抗力である。災害そのものをゼロにできないのであれば、「大戦」と「幾多の大災害」は同列には扱えない。
「先の大戦による荒廃や幾多の大災害」と言葉をつなげると、「大戦」が「幾多の大災害」と同じように不可抗力で発生したようにも見えてしまう。「大戦」については幾つかの議論があるが、地震のように発生するものではない。
また、現行憲法における主語は「日本国民」である。「日本国民」は「われら」と言い直され「国民」が「行動する」と書かれている。国民の行動を誰かが規定するものではないことがわかる。さらに「政府」が主語になることを禁じている。「政府」が国民の上位に位置づけることができない。
そして国民主権の部分、「主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」につながり、「主権」は「国民」であることが明記されている。日本国憲法の施行から今年で70年になる。これまでの議論や基礎知識などを踏まえて、自らの立場で憲法に関心を持つことは大変意義があると思われる。
尾藤克之
コラムニスト
<アゴラ研究所からお知らせ>
―2017年5月6日に開講しました―
第2回アゴラ出版道場は、5月6日(土)に開講しました(隔週土曜、全4回講義)。
「次回の出版道場に、1年前にトランプ勝利を予言した、渡瀬裕哉氏が登壇」。