公共部門を民営化する論理

公的部門から供給されている諸サービスのうち、利用料が徴収されているものは、理論的には、民営化できるはずだ。では、何が民営化を妨げているのか。民営化になじまない事業の特殊な公共性だろうか、それとも収益性の低さ、あるいは構造的赤字体質だろうか。

論点の第一として、利用料を徴収する事業において、その事業が真に社会的に必要なものであり、利用者に適正な利用料を負担させることについて社会全体の公平性に照らして妥当性があるときは、当該事業の収支は、公共性の枠組みのなかで、適正な収益性を維持できるはずである。

故に、論点の第二として、このような事業において、現実に収支が合わず、赤字が発生しているのならば、そこには、利用料の設定と運営経費の管理についての非効率、あるいは利用者の求めるものと供給されるものとの間の不一致という事業自体の欠陥等、経営のあり方に根本的な問題があるとしか考え得ない。

そこで、第三の論点として、真に社会的に必要な事業ならば、適正な収益性を維持できるはずだから、公的部門の事業として行う必要はなく、逆に、公的部門で行うが故に、その固有の非効率性が低収益性をもたらしているとすれば、民営化の可能性が検討されなくてはならない。

では、民営化とは何か。日本国有鉄道や日本電信電話公社の民営化の事例のように、公的部門に属している事業主体を、そこに事業資産等を帰属させたまま株式会社に転換し、その株式を民間投資家に売却するものならば、実のところ、民営化というのは、要は、事業の所有者、即ち株主を、公的部門から民間部門に変更するだけのことで、事業自体の変更ではない。

また、統治改革の唯一の方法が民営化なのでもない。公的部門でも、理論的には、適正な統治は実現し得るし、民間企業でも、統治の欠陥はあり得る、あり得るというよりも、統治のなっていない企業など、いくらでもあるのが現実である。

従って、統治改革が課題であり、経営効率の改善が求められるとしても、その手段として、直ちに民営化が導かれるはずはない。にもかかわらず、常に民営化の可能性が問題とされることについては、それなりの理由がある。それが改革への誘因としての利潤だ。つまり、利潤をあげ得るのは、民間の私企業だけだということである。

しかしながら、経営効率の改善に利潤という誘因が必須だという発想は、資本主義の人間的、あるいは思想的な背景に関する一つの仮定にすぎない。もしかすると、公的部門でも、役職員の処遇制度に事業効率化の要素を大胆に取り入れることで、民営化と同等な効果をあげ得るのかもしれないのである。

 

森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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