北朝鮮の核開発と丸山眞男の「原子力戦争」時代論

篠田 英朗

『丸山眞男への道案内』、朝鮮中央通信より引用(編集部)

丸山眞男は、原子力戦争の時代の到来によって、本来手段であるはずの戦争が手段としての意味を失った、と論じた。「全面講和」を求める中立政策を訴えた、1950年12月の論文「三たび平和について」においてである。丸山は、「原子力戦争」の時代は、「世界戦争(global war)」と「全体戦争(total war)」の時代である、と論じた。手段として戦争を操作的に扱うことができないという認識から、中立を宣言するべきだ、という主張が出てくる。

丸山は、現実に裏切られた。実際には、1945年以降の全て戦争が「原子力戦争」=「世界戦争」=「全体戦争」であったわけではない。政策論に行きつく前に、丸山の現状分析が、過剰に理念的であった。

1950年6月に勃発した朝鮮戦争では、原爆は使用されなかった。原爆使用を主張した国連軍司令官マッカーサーを解任したトルーマン大統領の判断によるものだった。広島と長崎に原爆を落とした、あのトルーマンの判断である。

21世紀の現代を見てみれば、ミサイル防衛システムや精密誘導兵器の飛躍的な発展は、核兵器の持つ意味を相対化させている。また兵器は人間が扱うものだという意味で、常に政治の不確定さに服する。たとえば、核保有国に体制転換が起こるだけでも、核兵器が持つ意味は大きく変わる。

ただし、丸山の洞察が外れた理由の一つが、核兵器が全ての諸国に行き渡らなかったことにあることにも注意したい。つまり五大国以外の諸国に関する核不拡散体制が維持されてきたことが、「原子力戦争」の時代の本格的な到来を防いだ。政策的な努力によって、そのような体制は維持されてきたのである。

国際政治学者のヘドリー・ブルは、「国内的類推」の陥穽を指摘した議論において、ホッブズの自然状態論と核兵器の持つインパクトについてふれた(Bull『Anarchical Society』)。ホッブズの「自然状態」で、「万人の万人に対する戦争」が生まれるのは、最も弱い人間であっても、睡眠時に襲ったり、毒を盛ったりすることによって、最も強い人間を殺すことができるからである。しかし諸国家間の関係に、そのような条件はあてはまらない。つまり諸国家間関係からなる国際社会は、実は、完全な「万人の万人に対する戦争」の状態におちいることがない社会である。

ただし、とブルは付け加えた。ただし、将来、核兵器が数多くの国々に行き渡るような事態が発生した場合には、最も弱い国であっても最も強い国に打撃を与えることができるようになるかもしれない。そのとき、国際社会は、ホッブズの「万人の万人に対する戦争」としての「自然状態」に近づいていくことになる。

北朝鮮の核開発問題は、既存の国際秩序に構造転換をもたらす潜在的意味を持っている。北朝鮮のような貧しい小国が、米国と渡り合うことができるのも、現実に核開発が進められているからである。

なぜ北朝鮮は、人民が飢えているにもかかわらず、核開発を進めるのか。もちろん、抑止効果によって、体制維持を狙うことが第一だろう。もしそれだけのことであれば、論点は、核開発の現実を受け入れて体制保障を約束することと引き換えに、冒険的な行動に出ないという確約を取り付けるという方策をとるかどうかになる。

だが、実際には、北朝鮮のほうが、体制保障と引き換えに核兵器を放棄する選択肢に魅力を感じないだろう。北朝鮮は、ただ他国から攻撃されないだけで、体制維持できるような国ではない。経済的な行き詰まりからも、体制崩壊はあり得る。むしろ他国は、そのシナリオを望んでいたのだが、体制崩壊の前に核開発に成功してしまった、というのが、現在の状況である。

経済的実体に見合わない形で核兵器を開発した場合、必ずその技術を他国に高値で売りつけ、外貨獲得の手段にする方策を目指す。投資額に見合う資金を回収する方法はそれ以外にはないからだ。

インドやパキスタンなどの過去の核開発国と比べて、北朝鮮が際立っているのは、具体的な抑止体制が目標として設定されているようには見えない、あるいはそれだけでは足りないことだ。

北朝鮮の核開発は、おそらく世界的規模で核不拡散体制が崩壊する前ぶれになりうる。北朝鮮はすでに核開発/弾道ミサイル能力を世界に見せつけた。今後、核開発を目指す勢力は、北朝鮮とつながる闇市場に強い関心を抱くだろう。

参照:(読売新聞)国連に協力的でない国、北朝鮮制裁の「穴」に
参照:(朝日新聞:GLOBE)北朝鮮は本当に孤立しているのか

北朝鮮が合理性を見出す資金量さえ調達できるのであれば、そうした勢力は、国家である必要もない。出口の見えない「対テロ戦争」を闘い続けるアメリカを中心とする諸国にとって、悪夢のシナリオだ。

丸山眞男が、永遠に現実に裏切られ続けるかは、まだわからない。国際社会の無策が露呈したり、政策努力が水泡に帰したりした場合には、「原子力戦争」=「世界戦争」=「全体戦争」、つまり「万人の万人に対する戦争」の世界が到来する。

国際社会の北朝鮮に対する警戒心を批判し、金正恩にお金を渡し続けて危機を回避し続けることを提案する方がいるという。丸山の洞察が現実化することを手助けしたい方である。

ただし、丸山の洞察が現実化したとしても、丸山が提案した「全面講和」は、21世紀の世界では、もはやレトリックとしても意味をなさない。冷戦終焉後の世界では、「片面講和」も「全面講和」もない。

丸山の洞察が現実化してしまえば、ただ、われわれ全員が、「原子力戦争」=「世界戦争」=「全体戦争」、つまり「万人の万人に対する戦争」の世界を生きることになる、ということだ。

ほんとうの憲法: 戦後日本憲法学批判 (ちくま新書 1267)
篠田 英朗
筑摩書房
2017-07-05

編集部より:このブログは篠田英朗・東京外国語大学教授の公式ブログ『「平和構築」を専門にする国際政治学者』2017年9月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。