「ノーベル賞は受けないほうがいい」

長谷川 良

1974年、佐藤栄作に送られたノーベル平和賞メダル(国立公文書館所蔵)

韓国紙中央日報(日本語電子版)で韓国経済新聞のコラム「ノーベル賞は受けないほうがいい」(2016年10月12日)を見つけた。1年前のコラムだ。一瞬、おやっと思った。

10月に入ると、ノーベル賞週間だ。日本でも様々な期待の声がメディアを飾るが、隣国・韓国でも同じだ。というより、時には悲痛な声すら飛び交う。「今年こそ韓国人のノーベル賞受賞者が出ることを願う」といった叫びだ。だから、上記の記事を見つけた時、「ノーベル賞を獲得できないので、ノーベル賞は受けないほうがいい、と屁理屈をつけている記事だろう」と勝手に憶測したほどだ。

そうではなかった。「韓国民が読めばとても参考になるだろう」と感じた。記事の内容は全く正論だ。曰く、「金大中元大統領がノーベル平和賞を受賞したからといって韓国が平和になったわけではない。むしろ北朝鮮の核のため危機感ばかり強まった。韓国の科学者1人がノーベル賞を受賞したからといって科学強国にならないのも当然のことだ」というのだ。

記者の目は覚めている、というか冷静だ。金元大統領が南北首脳会談の実現の功績で、韓国人として初めてノーベル平和賞(2000年)を受賞して17年が経過するが、朝鮮半島は戦後最大の危機に直面している。金大中氏が現在の朝鮮半島の現状を見たら嘆くことだろう。

記者はいう、「基礎体力が足りない状態で1つや2つの分野のノーベル賞は後に別の負担をもたらすこともある。ノーベル賞は当分忘れるのがよいだろう。いや受けてはいけない。まずは『能率と実質』の気風がもっと重要ではないだろうか」と指摘し、記事を締めている。

記者の論調からノーベル賞常連国の日本を意識した屈折した劣等感や屈辱感はまったく感じなかった。むしろ、韓国学界の現状と課題をズバリ、指摘していることに感動した。1年前の記事だが現在にも当てはまる内容だ。

韓国では今年、ノーベル文学賞を密かに期待していた。韓国の代表的詩人、高銀(コ・ウン)氏が候補者に挙げられているという声があった。日本ではもちろん「今度こそ村上春樹が受賞するだろう」というハルキ・ファンの声が聞かれた。結果は「日の名残り」などの名作があるカズオ・イシグロ氏が受賞した。日系英国人作家の受賞は門外漢には想定外のサプライズだったが、世界の文学界に熟知するファンには「イシグロ氏は候補者の一人だったから、驚きに値しない」と受け取られたという。いずれにしても、韓国人詩人でも、村上春樹氏でもなかった。

日本は4年連続、ノーベル賞受賞者の誕生を密かに期待する声があった。特に、化学賞に有力候補者が挙げられていたからだ。しかし、残念ながら今年は誰も受賞しなかった(日本はこれまで25人が受賞した)。

それだから、というわけではないが、ノーベル文学賞受賞者の発表後、韓国メディアはノーベル賞関連記事では例年にないほど静かだった。もし日本人が1人でも受賞していたら、「なぜ韓国ではノーベル賞受賞者が現れないのか」といった嘆き節に付き合わさせられたかもしれない。いずれにしても、 コラムにノーベル賞級という評価があるとすれば、「韓国経済新聞」の昨年のコラムはノーベル賞級の名コラムだった。

9日のノーベル経済学賞の受賞者発表をもって今年のノーベル賞週間は終わる。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2017年10月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。