だから新聞社説は読まれない

中村 仁

金正恩を最高指導者と呼ぶ朝日

元旦を含め、新年の社説をざっと読んでみた感想を述べます。新年社説は前年末から何度も論説会議を開いて、時間をかけて論旨を練る新聞社が多いでしょう。新聞社の特色を知るいい機会です。

いつも気になってることからお話します。「南北朝鮮対話、日米と共に事態打開を」(5日)という社説に、朝日新聞の本性が表れています。記事の中に「最高指導者、金正恩氏」という表記がでてきます。これまで何度も登場した表現です。

社説の内容は「南北間の話し合いが再開すること自体は歓迎」、「北朝鮮が軟化した姿勢に転じた動きを見逃すまい」、「韓国は過大な評価をして浮足だつのは禁物」など、まあ無難です。そこに「最高指導者、金正恩氏」が飛びだしてくるので「あれっ」ですね。世界で最も危険な人物を「最高指導者」とは、読者はしらけますよ。

読売、毎日、日経など他紙は「朝鮮労働党委員長」です。「朝鮮労働党委員長」という正式な肩書があるのに、「最高指導者」という呼ぶのはどうしてでしょうか。米国のトランプ氏やロシアのプーチン氏は「大統領」、中国の習近平氏は「国家主席」などと、朝日も正式の肩書を使っています。

独裁的権力者がふさわしい

金氏は「無法国家」のトップで、核ミサイル開発に精を出し、権力維持のために側近、幹部の処刑、粛清をいとわない。「独裁的権力者」の呼称がふさわしい。朝日が表向きはともかく、内心では北朝鮮寄りと、自ら証明しているみたいなものです。

次に気になったのが産経です。論説委員長が一面に書いた「年のはじめに」が産経の元旦社説に当たるのでしょう。「繁栄を守る道を自ら進もう」との見出しで、日本を守るために、防衛力を強化していこうとの主張です。

「国防の最前線に立ち、最後の砦となる自衛隊に正月はない。不審船はいないかとか・・」、「北端の基地が青森県八戸市にある。基地の隊員らにとって、任務の遂行は雪や凍結との闘いでもある」など、ルポ風の描写が続きます。自衛隊員は本当にご苦労様です。それにしても、まるで太平洋戦争の現場ルポを再現するかのような筆致です。

産経は5日の社説「積極防衛へ転換を急げ」で、こんなことを書いています。「専守防衛は先の大戦でもとらなかった。これは本土決戦に等しい危険な政策そのものである」です。東アジアの安保情勢を見ると、これまで通りの専守防衛策では対応できなくなるというのならともかく、「本土決戦」とは、読者は「えっ、そんな」でしょうか。

迫力のない社説的理想主義

これらを両極端として、逆に意味をなさない指摘が社説には、数多く登場します。一見もっともらしく、現実性はない主張です。社説的理想主義というのでしょうか。

朝日の「より長い時間軸の政治を」(元日)では、「財政再建といえば、独立した第三者機関をおき、党派性のない客観的な専門家に財政規律を厳しくチェックさせるといった案がある」と、主張しました。正論であっても、現実的ではありません。そんな機関が存在しないからこそ、安倍政権の財政拡大策が可能なのです。

野田政権は、消費増税の民自公三党合意(社会保障財源の確保)を正直に実行したことが大きな敗因となりました。民主党政権下で増税をやらせれば、自公は選挙で有利になれると考え、三党合意にのったのです。野田政権は惨敗したばかりか、安倍氏は政権をとるや、三党合意を反故にし、消費税10%は先送りです。それが政治です。

読売の「緊張を安定に導く対北戦略を」(元日)では、「北朝鮮の核戦力を一部でも残すような中途半端な決着は将来への禍根となる」と、主張しました。これも正論です。理想的な目標です。問題はそんなことが可能かです。

北朝鮮が核ミサイル戦略を放棄することはまずあり得ません。それを失えば、金政権は自らが崩壊することを知っています。核を一部でも残させないためには、軍事力による金政権の強制的排除しかないでしょう。

日米が本気になるなら、裏で支えている中露との対決を覚悟し、さらに日本が何万、何十万という難民受け入れのキャンプ村の設置を見せつけることです。安倍首相は「異次元の圧力をかける」と言いながら、難民キャンプのことを持ち出していません。だから社説の主張が正しくても、読者は「筆先だけの主張だろう」と、考えてしまうです。


編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2018年1月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。