6年前の2012年3月29日に東京を経ち、シカゴに向かった。早いもので、もう、6年になる。まだ、50歳代だった私だが、60歳代の半ばになってしまった。そして、東京大学医科学研究所の凋落は著しく、理化学研究所ゲノム医科学研究所は名前が消え、バイオバンクジャパンも終わる。これから、ゲノム解析に基づいたプレシジョン医療が本格化するにもかかわらず、日本で起こっている、時代の潮流に逆らう動きはどうなっているのだろう?
私は、1996年にPHP新書「遺伝子で診断する」を発刊し、その中で遺伝子を診断に利用し、遺伝子情報で薬を選ぶオーダーメイド医療の将来像を提示した。当時は、個別の遺伝子を調べることを想定したものであったが、20数年の時を経て、全ゲノム解析・全エキソン解析が、安価で短時間にできるようになった。私の想像をはるかに上回る速さで、DNA解析技術が向上した。そして、20年前には奇異の目で見られたオーダーメイド医療は、プレシジョン医療と名を変えて、大きな流れとなった。
また、シカゴで過ごした6年間で、血液や尿を利用したリキッドバイオプシー技術が一気に臨床現場で応用される気配を見せている。血液中にがん由来のDNA断片が含まれていることは疑いようもない。日本では「リキッドバイオプシーなど時期尚早」と批判のコメントを発して、わかったような振りをしている評論家がたくさんいる。20年前には、「全ゲノム解析など100年先の話だ」と言って、ゲノム研究をゲテモノ扱いした人もいた。できそうにもないから、難しそうだから、何もしない日本文化が、必要だからやり遂げるという米国のチャレンジ精神に、コテンパンに負けているのだ。がん由来DNAが血液中にある事実は曲げようもなく、あと少しの技術進歩と標準化で、臨床現場に応用されるのは確実だ。
そして、この6年間で最も変化したことは、がん免疫療法である。がんの第4の治療法になるかどうかといった議論が遠い昔のような気がするくらい、免疫療法はがん治療のど真ん中に鎮座している。しかし、日本では、今でも、味噌と糞を一緒にして、免疫療法を否定する馬鹿医師が少なからずいる。7年前に、「がんの免疫療法など効くはずがない」といった人が、今や、免疫療法の大家のような顔をしている。日本は変な国だ。
しかし、免疫チェックポイント抗体の成功は、患者さん自身の免疫力が非常に重要であることを、科学的なエビデンスとして明示することにつながった。そして、米国で発刊されている「サイエンス」誌の最新号が「免疫療法」の特集を組んだ。その一つに、個別化ネオアンチゲンをまとめたものがあった。そこに“…a personalized mutanome vaccine has the potential to become a universally applicable therapy irrespective of cancer type.”というコメントがあった。和訳すると、「個別化ネオアンチゲン(mutanome vaccine=mutationを元に作られたワクチン)は、がんの種類に関わらず、普遍的に利用できる可能性を持っている」だ。
がんの全エキソン解析と遺伝子発現解析をすれば、遺伝子変異数が極端に少ない場合を除いて、ネオアンチゲンワクチン候補が見つかる(ただし、がん特異的な抗原をがん細胞の表面に示すHLAやその関連分子に異常があれば役立たない)。これを利用した臨床試験が急速な広がりをみせている。わずか100-200遺伝子を解析して(遺伝子パネルで)分子標的治療薬を見つけることなど、時代遅れのガラパゴスなのだが、日本では、これが時代の最先端だという。これも、変な国、日本だ。
しかし、変な国だと嘆いていても、患者さんや家族には何も届かない。私も前向きに進まなければと自戒する。そして、シカゴの生活もあと3ヶ月で終わる。変化を起こすことができるのか、潰されるのか、どちらに転ぶのかわからないが、挑戦することにした。この歳になれば、何も失うものはない。坂本竜馬のように、死ぬ時も前のめりで死んで生きたい。もちろん、患者さんや家族には希望の光を残したい。桜のように美しい花を咲かせて、綺麗に散ることができれば本望だ。
編集部より:この記事は、シカゴ大学医学部内科教授・外科教授、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のシカゴ便り」2018年3月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。