取材対応の流儀 記者に記事を見せてもらってはいけない

常見 陽平

この半年くらい、何人かの著者、学者、専門家、経営者クラスタがFacebookなどでコメントしていたので、私なりに意見を。メディアからの取材対応について。特定の個人を批判するわけではなく、また旧来のルールを振りかざすわけでもなく、無知を指摘するわけでもなく、私はこう考えますよという一意見として聞いてほしい。

新聞社、雑誌社などからの取材では事前の原稿チェックがないことがある。そもそもこのチェックがないことに対する不満を前出の方々からよく聞く。また、事実の誤認だったり、ニュアンスの違いだったりも。さらには、一部分だけ相手の文脈に切り取られるということも。

私も「何だかな」と思ったことはある。貰い事故的に大炎上したことも。そのあらぬ誤解から一部の方と疎遠どころか絶縁状態になったりしたことだってあった。

ただ、私はそれでも、取材対応とはそういうものだと思う派だ。私は、取材とは、ジャーナリズムとはそういうものであり、広報対応の流儀だと考えるからだ。

全国紙や、雑誌は、個人ブログではない。著書でも論文でもない。ましてや、広告ではない。記者に取材して、書いて頂くという場だ。リスクをおかしつつも、自分の声を届ける。さらには、誤解なきように伝えるためにも、取材対応についてもプロとして望む、と。

それでも上記のようなトラブルが起こることがある。その際は、事実をもとに抗議をする。なんらかの手段で釈明をする、と。まあ、この辺、間違ったことが伝わった後では遅いこともあるし、それで社会が動いてしまうこともあるわけで悩ましいのだが。

私、記者と取材対象者(個人であれ、法人であれ)は、いつも真剣勝負で。片手で握手して、片手で殴り合うものだと思っている。さらには、プロ対プロの緊張感が必要だな、と。間違ったこと、書いたら承知しないぞ、と。これだけ用意したんだぞ、と(それをアピールしてはいけない)。そういう威圧感を醸し出すくらい、取材対応は準備して臨む、と。

サラリーマン時代、広報をした2年間、人事としてよく取材された3年間、著者生活(ライター時代も含め)12年間でこういうことを学んできた。特に広報時代にお世話になった、トヨタ、リクルート両社の当時の広報からも教えて頂いたことであり。

まあ、最近は、ホイホイと記事を見せる記者、全部こっちの用意したように書けという広報なんかも見かける。それは、「弱い」ってことだ。

もちろん、前述したように、間違ったことが伝わるというリスクや、個人や法人のブランドを守りたいという想いもあるだろう。メディア自体の劣化も。

私はストロングスタイルでいこうと思う。まっとうな、左派文化人を目指して。


最新作、よろしくね。こういうマナー、ルール、ノウハウも会社で学んだわけだよ。


編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2018年4月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。