私をイクメンと呼ばないで

子供が生まれてからずっと、たくさんの方から「イクメン、頑張ってますね!」と言われた。まったくの褒め言葉でおっしゃったのだと思う。もちろん悪気はないだろう。善意の言葉にこんなことを申しあげるのは何なのだが、雇用・労働に関する知識人として、いや一市民として、私のスタンスを聞いてほしい。特定の個人を批判するわけではなく(本当にたくさんの人から言われたからな)、ただ、互いに不愉快な気分にならないために、説明する。

私はイクメンと呼ばれるのが苦手だ。なぜならこの言葉は俗耳に馴染むスローガンそのもので問題を何も解決しないからだ。いまの働き方改革の美名のもとで起こっている時短ハラスメント問題と通底する部分がある。かなり無理なことをしているのではないか、と。それだけ育児も仕事も大変だってことだ。こんなことに音をあげるのかというなら、どうぞ私を弱虫呼ばわりしろ。仕事の絶対量が減らない中、また、男女ともに働く権利があり、さらには働かないとまわらない家庭も増えている中、無理をしている部分があるのではないか、と。さらに、「イクメン」なるものを名乗るためにも、数々の前提を揃えないとならない。それが十分だと言えないことは明々白々だ。

先日の松井剛先生、嶋浩一郎さんのイベントや、お二人の御著書でも論じられていたとおり、言葉が何かに光をあてたり、何か新しいシーンを生み出すこともある。イクメンもその一つだろう。でも、キャッチフレーズだけのイクメンは意味がない。

ましてや、イクメンという言葉が存在することは、逆に「男性は育児や家事に参加することが異常だ」と言っているようなものだ。この言葉が存在するということは、やはり男性の育児や家事労動参加は異常ということになる。

さらには、この手の意識高い系ムーブメントが苦手だ。このスゴイ父親、母親像をちらつかされて苦しんでいる親だっているわけだ。あまりに配慮が足りない。

私は平日でも毎日、3~4時間は家事をしている。だから育児に関心がない人と思わないでほしい。

まあ、育児に関しては執筆依頼を緩やかにいくつか頂いているが、この点はまさに労動と絡むものであり、根本的、普遍的矛盾を孕んでいる。もろもろ、書籍で徹底批判、いや糾弾するとともに、建設的な提案もしたいと思っている

長々と書いたが、読者諸君は二度と私をイクメンって呼ばないでほしい。傷つくので。不愉快なので。いや、悪気はないと思うのだが。でも、こういう悪気のない一言って、一番罪深いのだ。悪意があるかどうかよりも、具体的な言動で人は傷つくのだ。

夜露死苦。


編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2018年4月18日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。