ライフシフト!寿命100歳のヒントは明治維新にある?

尾藤 克之

画像は勝海舟(wikipediaより)

幕末戦士・勝海舟。現在放映中のNHK大河ドラマ「西郷どん」の主人公、西郷隆盛との歴史的会談により、江戸を火の海から救った「江戸無血開城」の立役者である。昨年は、明治維新の幕開けとなった「大政奉還」(1867年10月)から150年だった。

明治維新は、時代が変わっていく様子、人物の志に特徴がある。今回は田代幾美さん(大手企業管理職、ブロガー・「100歳以上生きる!!」)に明治維新の魅力について伺った。『江戸東京博物館』(東京都墨田区横網)を訪れた際のエピソードを交えて解説してもらう。

徳川慶喜と勝海舟は長寿だった

――『江戸東京博物館』は江戸の歴史を知るのに最適な博物館である。日本橋を中心とた江戸の生活のすべてが、あらゆる角度から解説されている。知的好奇心が高まることから、歴史マニアなら一度は訪問したい。

「幕末立役者の一人でもある勝海舟の書が好きでずっと追いかけています。先日、訪れた『江戸東京博物館』で偶然、とうとう実物に巡り合うことができました。常設展では江戸庶民文化の再現に始まり、明治維新後に『東京』となった後のさまざまな姿もガイドしてくれます。イベントも多いので楽しめると思います。」(田代さん)

「その他にも、江戸城のジオラマや町の暮らしぶりなどに始まり、文明開化後の文化と娯楽、戦後高度経済成長期の人々の様子など。さまざまな展示があります。常設展示室の5階に『江戸から東京へ』と案内されている『幕末コーナー』。西郷隆盛vs勝海舟会談のビデオが流れていたりする脇に、とうとうありました!勝海舟の書。」(同)

――この書は「神戸海軍局」の開設を命じられた際に、勝海舟がしたためた碑文の草稿になる。徳川慶喜と勝海舟。ともに77歳の天寿を全うした。これは現代の100歳にも相当するようだから、かなりの長寿ということになるのだろう。

「2人とも多彩な趣味をお持ちで、勝海舟は、得意な“書”をかくことで、第二の人生を楽しんでいたようです。また、ただ書をかくだけでなく、それを差し上げる相手を目の前におしゃべりしながら書く、という、『デュアルタスク』をこなしていたとのこと。この、『デュアルタスク』というのは、脳トレにとても良いそうです。」(田代さん)

――脳トレということは、現代でも認知症予防などによく取り入られるメソッドなのだろう。これが長生きの秘訣なのだと納得できる。

「一方の、徳川慶喜も自転車をはじめ狩猟や弓道など運動や、風景画も多く描いており、また、豚肉を好んで食していたそうです。食と運動は健康に欠かせないのだということを、まさに体現されたのではないかと言われています。」(田代さん)

――徳川慶喜には、260年続いた徳川幕府に終止符を打ち政権を朝廷に返す決断を強いられる。はからずも天皇家の敵のような立ち位置になってしまう。勝海舟は江戸城を明け渡した責任を取る必要があったはずのところを明治政府に登用され、徳川家旧臣たちに疎まれてしまう役どころになってしまった。多くの苦難があったとものと推測される。

ライフシフトの意味とは

「その後の歴史上の出来事の解説は書物に譲るとして。私がもっとも心に刺さったもの。それは、勝海舟が、徳川慶喜に揮毫を所望され、したためた、『楽天理』という書。明治31(1898)年、徳川慶喜63歳のときのこと。かつての居城であった『皇居』に明治天皇から参内を許され、30年ぶりに江戸城(皇居)に訪れることができた。この邂逅によって、かつての『朝敵』としての禊をすることができたのでしょう。」(田代さん)

「『楽天理』というのは、“自然にさかわらずあるがままに”という意だそうです。この書に込めた2人の思い。『楽天理』はきっと2人の長寿ライフを見守ってくれたのではないかと、あらためて先人たちのすてきなエピソードに敬服しました。私にとっては、幕末戦士、というより、『ライフシフトの大先輩』と敬愛する、徳川慶喜と勝海舟です。」(同)

――この書が現在どこにあるかは調べることができていないが、『江戸東京博物館』には、実際に勝海舟が記した別の書物を見ることができる。なお、『江戸東京博物館』は、指定管理者制度により、公益財団法人東京都歴史文化財団が運営している。明治維新は当時の生活ぶりがわかると理解がし易くなる。たまには歴史に思いを馳せるのも悪くない。

尾藤克之
コラムニスト