「老兵は死なず、去らない」高齢議員を自ら引退させる難しさ

こんにちは、都議会議員(北区選出)のおときた駿です。

昨日は朝からなんだか悪いことばかりでした。。

小笠原諸島行きの強制キャンセルから始まり。。

自衛隊機は一台のみで知事や都幹部たちとも相乗りなため、どうしても一緒に乗りたくなかったのかもしれませんね?!

…という冗談はさておき、小笠原諸島へは足を運んだことがなかったため、行く機会がなくなってしまったのは少々残念であります(船は航行時間だけで片道24時間、諸々で往復1週間の旅程となるため断念)。

またいずれ、しかるべきときに行く機会があるのでしょう。それまでしばしさらば、小笠原諸島。

他にも色々あったのですが、政治活動には関係ないので自重(苦笑)。

さて、昨日からこんなニュースが一部で話題となっています。

70歳定年のはずが…自民9人が出馬意思 特例に反発も(朝日新聞)

国会議員や地方議員には「定年」「出馬年齢上限」というものは存在せず、理論上は何歳になっても立候補することができます。

しかしそれではさすがに具合が悪かろうということで、各政党が自主的に「定年」を設けていることが多いです。

それはしかるべき措置だと思いますが、この定年が「特例」の名のもとに形骸化されているのが実態です。

来年の参院選に向けても、定年を迎える自民党議員の全員が「現役続行」の意思を見せ、これには他党のみならず自党内からも反発が上がっています。

残念ながら知名度の高さや地域・支援団体との結びつきの濃さがモノを言う現行の「選挙」というゲームにおいては、歳を重ねた議員のほうがスタートが圧倒的に有利になります(新人の参入障壁が極めて高い)。

引退したくない高齢議員と、選挙で議席が欲しい政党の思惑が一致して、これまでもこうしたケースではなし崩し的に特例が横行してきたわけですね。(自民党だけのはなく、公明党でもある)。

私が政治の世界に入ってまもない頃、先輩議員から言われた

「この世界では、『老兵は死なず、去らない』なんだよ」

という言葉が印象的で、今でも非常によく覚えています。

「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」というのは、マッカーサー元帥が引退する時に残した有名な言葉です。

これは潔さの象徴して頻繁に引用されますが、実は誤訳というかニュアンスがまったくの逆で、マッカーサー元帥はその後も隠然たる影響力を行使しようとしていたことが指摘されています。

参考:
【一筆多論】「老兵は死なず…」の真意(産経新聞)

引退した後に「院政」を敷かれるのも困ったものですが、そもそも現役を引退されないのですからそれ以上のものです。

確かに政治に限らずあらゆる分野において、「経験」というのは非常に大切なものです。

引退を固辞している議員は「人生100時代になったのだから…」と主張しています。私の地元である北区でも、御年83歳になる区長が「生涯現役」を宣言していると耳にします。

しかし、20年後・30年後の未来に責任を持つ政治家たちが、果たしてそれで良いのか

人間が経験したことしかわからないと言われるように、自分たちに無関係なこと(死後のこと)には、どうしても関心が薄くなりますし、残念ながら歳を重ねるほど体力・判断力ともに低下してくるのは否定できないところです。

あまりにも世代によって偏っている社会保障制度を始めとする政策の偏重是正のためにも、若い世代の政治家を増やすための努力を形骸化させてはいけないと、私は考えます。

最近でも、免許返納を拒んでいた90歳の高齢ドライバーが、痛ましい死亡事故を起こしたことが問題となりました。

政治と運転が一緒だと乱暴なことを言うつもりはありませんが、「自分はまだまだ大丈夫」という過信こそが、思わぬ悲劇を引き起こすことには目を向けるべきだと思います。

確かに、人生100年時代を迎えて「高齢者」の定義や役割も変化するときを迎えています。

若い時と同じこと・現役続行にばかり拘るのではなく、その歳に応じた役割というものを改めて考え、政治家・議員こそがその見本となって欲しいと思うばかりです。

それでは、また明日。


編集部より:この記事は東京都議会議員、音喜多駿氏(北区選出、かがやけ Tokyo)のブログ2018年6月2日の記事より転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はおときた駿ブログをご覧ください。