性犯罪問題で米枢機卿に聖職停止

長谷川 良

ローマ・カトリック教会の聖職者による未成年者への性的虐待事件を書いているときりがないが、ローマ法王に次ぐ高位聖職者、枢機卿の性犯罪容疑となるとやはり無視できない。記録しなければならない。以下、バチカン・ニュースが21日、大きく報道した内容だ。

▲聖職停止を受けたマカリック枢機卿(2008年1月24日、スイスの「世界経済フォーラム」(ダボス会議)で、ウィキぺディアから)

バチカン法王庁は、米国ワシントン大司教区の元責任者セオドア・マカリック枢機卿(Theodore McCarrick)の45年前の未成年者への性的虐待容疑に対し「信頼できるもので、実証に基づいた容疑」と判断し、今後の一切の聖職行使の停止を言い渡した。これはニューヨークのティモシー・ドラン枢機卿が20日、公式声明で発表したものだ。

マカリック枢機卿(87)への容疑は同枢機卿がニューヨーク大司教区の神父として従事していた時代のことだ。ドラン枢機卿によると、教会の規約に基づき、バチカンに通達された。バチカンのナンバー2、パロリン国務長官はローマ法王フランシスコの指令を受け、マカリック枢機卿に今回、聖職禁止を言い渡したわけだ。

それに対し、マカリック枢機卿は「バチカンの決定には忠実に従い、今後聖職を行使しない」と語る一方、容疑に対しては、「自分は容疑のような行為をしていない」と否定した。

ドラン枢機卿は、「ワシントン大司教区の関係者はバチカンの決定に対し、悲しみ、ショックを受けている」と述べる一方、教区の代表として性的虐待の全ての犠牲者に対し謝罪を表明した。同時に、「事件を報告してくれた犠牲者の勇気に感謝する」と語った。

マカリック枢機卿は1930年7月ニューヨーク生まれ。大学や教育分野でキャリアを積んできた。1977年にニューヨーク教区の司教補佐。1981年に教区司教、86年にニューアーク大司教に就任した後、2001年2月、ヨハネ・パウロ2世から枢機卿に任命されている。

枢機卿は2001年から06年までワシントン大司教区の最高責任者だった。同時代は米国同時テロ事件、イラク紛争やアフガニスタン紛争への参戦をはじめ、米教会の聖職者による性犯罪が次々と発覚した波乱の時代だった。彼は保守的な立場だったがブッシュ政権を支持してはいなかった。

世界のカトリック教会では聖職者の性犯罪が報道されない月がないほどだ。最近では、オーストラリア南オーストラリア州のアデレード大司教区のフィリップ・ウイルソン大司教(67)が1970年代、1人の神父の未成年者への性的虐待を知りながらもみ消した容疑で有罪判決を受けたばかりだ。

豪教会といえば、メルボルンの予審担当のベリンダ・ウォリントン治安判事は5月1日、バチカン財務長官のジョージ・ペル枢機卿(76)を性犯罪容疑で正式に起訴している。ローマ法王フランシスコが2014年2月に新設したバチカン法王庁財務長官のポストに就任した同枢機卿はバチカンの職務を休職し、メルボルンの裁判所に出廷して自身の潔白を表明してきた。

豪教会やアイルランド教会だけではない。米教会、独教会からベルギー教会など世界各地の教会で枢機卿、司教たちの未成年者への性的虐待事件が白昼の下、明らかにされてきた。

当方が住むオーストリアでも1995年、オーストリア教会最高指導者、ハンス・グロア枢機卿が未成年者に性的虐待を犯していた問題がメディアに報道された。バチカンは当時、容疑の解明を隠蔽し、枢機卿を地方の修道院に左遷。枢機卿はそこで病死した。グロア枢機卿事件はカトリック教会の聖職者の性犯罪の最初のケースだった。

当方はこのコラム欄で『バチカンに住む「亡霊」の正体は』(2018年5月30日)でバチカンの過去の歴史を簡単に紹介し、世界13億人の信者を抱える世界最大のキリスト教会に如何に多くの不祥事が起きたかを紹介した。そして新ミレニアムの西暦2000年に入り、聖職者の性犯罪が次々と暴露されていったわけだ。

現ローマ法王フランシスコは教会刷新へのチャンスについては、「エジプトのスフィンクスを歯ブラシで掃除するような試みだ」と吐露し、バチカンに住み着く亡霊退治が容易ではないことを示唆したが、聖職者の独身制をキープするカトリック教会にとって聖職者の性犯罪防止は最も難しいテーマだろう。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2018年6月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。