皇太子殿下の「雅子妃に銀メダル」発言に違和感

八幡 和郎

宮内庁サイトより:編集部

結婚25年となる皇太子ご夫妻が、お気持ちを文書でつづって発表されました。来年5月に新天皇となられる皇太子殿下は「気持ちを新たに、互いに協力しながら一つ一つの公務に取り組んでまいりたい」と述べられ、妃殿下は「たくさんの喜びも悲しみもありました」「広く人々の幸せを祈っていきたい」とされました。

そして、皇太子殿下は結婚10年の時に、雅子さまに「『努力賞』と『感謝賞』のダブル受賞」とされましたが、今回は「加えて、銀婚式に因んで銀メダルも贈りたい」とされ、妃殿下は皇太子さまに「感謝状を」とし、金婚式で金メダルとなるか心もとないが、温かい家庭を築くよう努力していくと述べられました。

いうまでもなく、両殿下が銀婚式を迎えられたことは、喜ばしいことで、国民の一人として、お祝いを申し上げたいと思います。また、妃殿下の体調が回復傾向にあることも心から安堵しています。

しかし、「銀婚式に因んで銀メダル」というのには、2003年から適応障害の療養が続き公務を十分に果たされていないなかでは、いささか違和感を覚えました。

ただ、お祝い事に水を差すのもいかがかと思い、少し時間をおきましたが、やはり、来年には天皇陛下になられる皇太子殿下に対して、ひとこと問題提起をするべきだと思います。

殿下は、以下のようにされました。

雅子は,この25年間,大変なこともある中で,色々な努力を続け,また,私と愛子をしっかりと支えてくれており,ありがたく思うとともに,心から感謝しています。点数を付けるのは難しいですが,今回は,結婚10年の折の「努力賞」と「感謝賞」のダブル受賞に加えて,銀婚式に因んで銀メダルも贈りたいと思います。

しかし、妃殿下は25年の結婚生活のうち、15年間は公務をごく限定的にしかされていないのです。

首相夫人にとって公的な活躍は、私人としての任意のものです。しかし、妃殿下の場合には、公務です。民間企業の副社長夫人に例えれば、首相夫人はただの社長の配偶者ですが、妃殿下は副社長夫人であるだけでなく、自分も専務か常務であるようなものです。

そういう状況にあって、15年もほとんど仕事ができないなら、それが病気がゆえであろうが、ほかの事情があろうが、株主や社員に対して申し訳ないということをいうのが先決ではないかと私はかねがねいってきました。それを仰らないのは、たとえ、自分たちが被害者だと思っておられるとしても、おかしいし、また、被害者というなら誰が加害者かも大問題なのです。

皇族内や宮内庁のなかで苦言を言われたり、マスコミで批判されたりするのは、不当でも何でもないことです。海外のロイヤル・ファミリーは日本での遠慮がちな皇室報道と違って情け容赦ないものです。

また、政治家や実業家、スポーツ選手、芸能人の夫人だって公人として厳しい批判の洗礼を受けているのであって、究極の公人である皇族が批判を受けたくないなどというのはおかしいし、まして、国際的な常識のもとでの「開かれた皇族」であろうとしたいなら、これまでのような抑制されたものでなく、国際水準での厳しい試練に耐えるべきだと思います。

だとすれば、まずは、これまでの状況について、国民に対しても、両陛下に対してもお詫びのようなものがないのは不自然なのではないでしょうか。

両殿下は、来年、即位されれば、なにかと今上陛下および皇后陛下と比べられることになります。
陛下は、一昨年の「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」において、自らが心がけてこられた象徴天皇像をお示しになりました。当時、私は、それは普遍的なものでなく、陛下ご自身の美学と捉えるべきだと申し上げました。

なぜなら、現在の両陛下の実践されているストイックな象徴天皇像は、雅子さまの体調からして真似できないものだからです。

だから、私は雅子さまや、それに寄り添うことで、公務をセーブされているとみられる皇太子殿下も、今上陛下ほどストイックな活動をされるのは、難しいし、無理をされることも止められた方が良いと思います。

今回の文書でも妃殿下は、「(被災地訪問などで国民と苦楽をともにしてきた天皇、皇后両陛下の姿を)常に心に留める」と仰っしゃるに留められているのは、余り無理をしないというおきもちかもしれません。

ただ、やはり、そのことについて、両殿下は、両陛下や国民に対して、申し訳ないという姿勢を示すことがなくていいのかというと、違うのでないかと思うのです。

皇族であろうが、首相であろうが、家族愛は結構なことで、家族を大事にする姿勢をポジティブに捉えたいのですが、やはり、公人として、本人の責任であろうがなかろうが、結果として責任を果たせてないときに、申し訳ないという姿勢を示さなければ、社会的信頼を失うし、社会全体に悪影響も及ぼすと思います。

私はどうも、このところ、社会的に影響力がある人が、家族とか身内に甘すぎて、世の中に示しが付かなくなっているのでないかと危惧しています。もちろん、安倍昭恵夫人も好ましくない交友のもたらした混乱について一言でいいから反省とお詫びを言って欲しいし、それをしないから、モリカケの追究が延々続く理由でもあるとかねてからアゴラでも書いてきたとおりです。

私は皇室の問題について、批判的な議論が封じられることはあってはならないと思います。敬意を払い少しオブラートに包むことはあってよいが、アンタッチャブルではいけないのであると思うから、アゴラでも書いてきましたし、それを「新潮45」の記事や『誤解だらけの皇位継承の真実』 (イースト新書)ではかなり網羅的に論じました。

日頃、いろんなところで、各界の有力者ともこのテーマを話すのですが、危機感をもちながらも、なかなか難しいテーマなので、外に向かっては発言しない人が多いのですが、そんなことをしていると、いずれ、危機が訪れるでしょう。

私は、できるだけ「皇室制度」の現状に問題ありという形で制度論として論じるように心がけています。

皇室というのは、皇族、宮内庁、それに政府の三つからなると思います。私はそれら全体をひとまとめにした「皇室」に問題ありといって、個々の三要素のどの責任かは少しオブラートに包んで議論しているわけです。

私は、宮内庁にも、政府にも、そして皇族方にも問題があり、また、問題を解決出来るシステムも崩壊状態であり、いまの責任回避と問題の先送り体質のままでは、皇室制度の危機につながりかねないと心配しています。

誤解だらけの皇位継承の真実 (イースト新書)
八幡和郎
イースト・プレス
2018-04-08

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