「シッターさんさよなら」その後と少子化対策に必要なこと

松川 るい

おはようございます。お盆も明け、まだまだ暑いとはいえなんとなく風にも秋の気配がしてきました。エアコンの設定温度もだいぶ下がり。お盆休みはずらして今週がメインだという方もおられるかもしれませんが(日本中混み合うので、是非分散して取るべきだと私は思います。)、多くの方はお盆明けの仕事復帰モードかと思います。私もお盆休みを設けて久々にゆっくりと家族との時間を過ごすことができました。

ただ、小学生の娘は未だ夏休み中につき、両親が働いている中でどこで過ごさせるか、悩ましいところです。高学年ならまだしも低学年の小学生のお子様をもつご両親は大変であろうとお察しいたします。

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ですから、ある番組でも申し上げましたが、まあ、1か月とはいいませんが3週間ぐらい、子供の夏休みと重なる形で大人もバカンスを取るという休み方改革があっても良いのではないかと思います。せっかく子供が休みでも親が休みでなければ、小学生の子供が有意義に時間を過ごすことはなかなか難しいものです。

それに3週間から1か月ぐらいまとまった休みがあれば、普段できない様々なことがじっくりできます。旅行だけでなく、副業や趣味に関するスクールに集中的に通うとか、さまざまな形で人生の句読点のような時間を過ごすことができると思うのです。人生100年時代です。あくせく働くだけでなく、1年の中にまとまった形の長期休暇があることは、文章に句読点があるのと同じく当たり前で大事なことのように思います。今、それとは程遠い職業についてしまった私が言うのもなんですが。

さて、冒頭長くなりましたが、今日は、その後の顛末のご報告をしようと思って書きました。以前私が書いたブログ(「シッターさん、さよなら、さよならシッターさん、また会う日まで」というさよなら涙くんをパロった若干寒いタイトルのもの)女性からだけでなく、年配の男性からも、「大丈夫か。シッターさん見つかったか。」と温かくご心配頂くことが多かったもので。

みなさま、ありがとうございます。やけ酒を飲みながらあのブログを書いた後、すぐに様々な紹介所やネット上のマッチングサイトなど様々駆使した結果、幸いなことに、3週間ほどのブランクはありましたが、良いシッター兼ハウスキーパーさんを見つけることができました。とても感謝しています。彼女なしには私の生活は成り立ちません。

また、火木だけ自分で対応するというのも無理な話だということも痛感しました。事前に、どういう大事な案件が何曜日に来るかだなんてわかるはずがないのです。特定の曜日は全部自分が引き受けるしかないという選択肢のない状況に自分を置くことは、とても自分を脆弱にしてしまいます。精神的にもよくありません。それは、シッターさん不在の3週間しみじみ痛感しました。

朗報は、大都市だけかもしれませんが、日本もだいぶ変わってきていて、とりあえずのスポットでのシッターサービス(つまり、定期ではなく、明日困るから来てください!というニーズに応えるもの)も以前に比べてかなり充実してきたということです。定期シッターさんを見つけるまでの3週間の間は、スポットのシッターサービスを活用させて頂きました。フィリピン人は世界最高のシッターさんと評判ですが、ようやく外国人のシッター兼ハウスキーパーさんたちも多く活用できるようになったのは喜ばしいことです。

私は、定期のシッターさんを毎日確保した上、定期のシッターさんが来られない事態に備えて、あらかじめスポットに対応できるサービスを別会社で契約しています。そんなのは経済的余裕があるからできるんでしょう、とか、毎日他人に見てもらうなんて子供がかわいそう、と言われそうですが、仕方ありません。私にはやるべき仕事があり、世話すべき子供がいます。子供は同じ方に来て頂ているので懐いていますし、私は家事と時間の制約から解放されて仕事ができます。

それに、このような時期は永遠ではなく、子供が中学生になるまでの10年ぐらいの時限的なものです。女性のみならず子育て家庭において、ハッピーに子育てをしていく上で、必要に応じ、シッターさんやハウスキーパーさんの手を借りることは積極的に捉えて良いと思います。もちろん、シッターさんの手を借りずに夫婦で家庭がやりくりできるように、長時間労働を脱する働き方改革が最重要だと思います。

その上でですが、専業主婦であってもです。専業主婦だってたまにはシッターさんの手を借りて、自分の時間を持つことがあってしかるべきだと思います。ましてや共働き世帯においては、夫婦での家事育児の共同に加え、必要に応じて外部の力を借りることは、幸せな生活の維持の必要手段として積極的に捉え活用して良いのではないでしょうか。それは、家庭のマネジメントの問題だからです。

つらつら思うのですが、我々日本人はもう少し、子育てや家事について、マネジメントの発想を取り入れるべきではないでしょうか。前のブログにも書きましたが、人間の最大のそして限りある資源は「時間」だと思います。お金持ちも貧しい人も男性も女性も外国人も関係なく、1人の人間に与えられた時間は1日24時間です。妻も夫も24時間しかありません。子供もです。もちろん。その中で、妻も夫も仕事いているとしたら、残る時間で子育てと家事をしなければならないわけです。子供に愛情を注ぐ時間もきちんと確保しなければなりません。

妻一人で家事も育児もしていたら仕事を男性(夫)同様にできるわけがありません。妻に家事育児を丸投げにしている男性については、正直、仕事だけしてればいいなら、仕事ができて当たり前じゃないか、と思います。時々、働いている妻に子供に加えて自分の世話まで期待する夫がいますが、いい加減にしたら、と思います。

あなたは妻の世話をしたこと(しようと思ったこと)があるんですか、とまず聞きたい。往々にして、自分の世話を期待する男性に限って、自分が妻の世話をするなどということは頭の片隅に考えたことすらなく、妻が病気になっていても、「俺の飯はどこ?」とか、「自分で外食するから大丈夫だよ(おいおい、妻の夕食を何とかしてあげるのが先では?)」ということを平気で言ったりするわけです。夫婦互いに世話をしあうのが理想でしょうが、それが無理なら、一方が一方的に他方に世話をさせるより、いい歳した大人なんだから自分のことは自分でやったら良いのではないでしょうか。

さすがに最近の若者の意識は既に変わってきていると(期待を込めて)思いますが、「家事は女の仕事だ」とか「子育ては母親に任せた」とかいうのはマネジメントの観点から合理的ではありません。マネジメントの観点からいえば、「家事と育児を妻に丸投げ」というモデルが合理的に成り立ち得るのは、専業主婦家庭だけです(それであっても、専業主婦にだって休日も必要です)。

しかし、日本の家庭の中で専業主婦家庭は少数で7割を超える過程は既に共働きです。もちろん、妻の働き方はパートのように毎日の長時間業務はないというケースが多く含まれているので、夫婦で同じ働き方をしている家庭で7割を占めるというわけではありませんので、家事育児の分担の割合や内容は家庭それぞれだと思います。一番大切なのは、夫婦間で納得感があるかどうかということです。

子育てについては、私は母親と父親の役割が違う部分はあると考えています。明らかに、幼児期には母親の役割が大きですし、母親が子供と過ごす時間を確保できるようにするべきです。母子愛着形成がその子の健やかな成長に与える重要性は医学的にも明らかにされています(ですから、1歳になるまでは育休の下での家庭保育の方が保育園に預けるよりも子供のためにも財政負担上も良いと思います。子育てと女性活躍の先進国たる北欧諸国も1,2歳になるまでは家庭保育が基本です。)。

そのためには夫が家事を積極的にやるなどして母親の育児時間確保をするなどの夫婦での限られた時間の総合的マネジメントも重要でしょう。いずれにせよ、一緒に作った子供です。育児は母親だけの仕事ではなく父親の仕事でもあります。育児こそ母と父の両方がしっかり携わってやるべき最重要の仕事だと思います。

他方、家事については、妻がやろうが夫がやろうがハウスキーパーがやろうがロボットがやろうがなんの違いもありません。ほんとに。ときどき、共働き家庭において、「家庭における夫婦の役割分担は妻の方が料理も洗濯も掃除も自分より得意で早くできるから、妻がやる方が合理的」と堂々と言っている夫君がおられて、愕然とします。それこそが、つまり「得意な方がやれば良い」という「論理」こそが、女性に家事を過大に押し付ける元凶だからです。1日24時間しかないのは男性も女性も同じです。得意な方が全部家事をやっていたら、このケースの場合、妻が自分の24時間を全部差出すことになってしまいます。このような理屈に妻の側も屈してはいけません。「ちりつも」

で、1年たったら、10年たったら、とんでもない時間の負債をおっていることに気づき、夫に対して不当な扱いを受けているという気持ちになり、夫婦仲にも影響し、また、第2子、第3子をもうけるかどうかという判断にもネガティブに作用します。

事実、夫の家事育児参画の時間が長い夫婦ほど第2子以降の出生率が高いという統計があります。日本の妻は、夫の7倍の時間を家事に使い、4倍の時間を子育てに使っています。ありえません。日本の男性が欧米並みに家事育児を妻と協同でやるようになれば、間違いなく出生率は上がるでしょう。離婚率も下がるかもしれません。夫と同じように働いているのに、自分ばかり家事育児を押し付けられているのが一番不満というお声は良く聞くところです。

なお、家事については、断捨離というか、モノを減らして片づけしやすいマネージしやすい環境を作ることも重要です。要するに、人員は夫婦と子供と限られているわけですから、対象業務を減らすことが重要ということです。私もお盆休みにちょこっと断捨離をしましたが、家事が格段に楽になりました。

子供も一定の歳になれば、積極的にお手伝いさせ、世話の対象から、家事を一緒にする戦力に加えていくべきだと思います。それは、その子にとっても、将来、家庭を持った時により良い家庭マネジメントのスキルを磨くことでもあるわけですから。朝食の時間は私にとって、娘との大切なコミュニケーションの時間です。ですから、普段は私が子供の朝食を用意するのですが、たまに余りに忙しくて寝過ごすこともありますが、その場合は、小4の娘は自分で朝食を作って食べて学校に行く準備をします。それはなんて不憫なと思われるかもしれませんが、自分で何とかすることができる意思と能力があることは娘にとっても悪いことではないように思います。

ダメ母振りを自分でさらけ出すようですが、娘が小学校からもらってくる様々なプリントはろくに目を通していません。娘はそれをわかっているので、「ママ、わかっていないと思うけど、今週末、遠足があるからちゃんとお弁当作ってね。そのための材料とか事前に買っておいてね。」と言ってきます。これも実に情けなく不憫な話です。ですが、小学校4年生にして自分のスケジュールを把握し、それを逆算して必要な措置を取るよう必要な人間(母親)に指示をすることができるというのは、生きていくスキルを身につけるという意味ではまあまあありではないかとも思うのです。

若干ずれてしまいましたが、私は何とか家事子育てを外部の力を借りつつマネージしています。力を貸して下さっている方々に毎日感謝感謝です。つくづく、子育てというのは一人では難しいものです。シングルマザー、シングルファーザーは大変だと思います。核家族化した少子化社会の現在、社会上げて子育てを支援するという姿勢と超積極政策が必要だと思う今日この頃です。

少子化対策は、単なる社会保障の持続可能性といった問題だけではなく、日本の国家としての生存に関わる問題であり、子供が増えることは最大の成長戦略です。少子化がこのまま進んでいけば、GDPの減少という国力の減少のみならず、過疎化が進み地方の村落が消滅するとか、国防を担う自衛隊、治安を担う警察官に十分な人員確保が難しくなるといった事態に直面することは目に見えており、これを何とかして食い止めるために、今、日本社会あげて子供を増やすための努力をしなければならないのです。この危機感を社会全体が共有し、既に若干手遅れの感はありますが、これ以上致命的な事態になる前に果断な対策を取る必要があります。

少子化の原因は、若者が結婚しなくなったこと、結婚した夫婦が経済的理由から子供を産むことに躊躇することであり、つきつめていけば主として経済的要因によることは統計上も明らかです。したがって、これを反転させるためには、「若者が結婚して子供を産みたい、子供がいる方が経済的にもお得!」と思えるような政策が必要であり、それを実現するためには、小手先ではなく、彼らの度肝を抜くような凄いレベルの「えっ、そこまでしてくれるの」というぐらいの出産・子育て優遇政策が必要です。

いったん出生率低下したもののこれを見事に反転させたフランスやスウェーデンなど参考にできる先行政策は様々あります。厳しい財政状況の問題もありますし、対象年齢を区切り実施期間も時限的措置とするといった工夫も必要かもしれません。ともかく、社会あげて出産と子育てを奨励し歓迎し支援することが大切です。


編集部より:このブログは参議院議員、松川るい氏の公式ブログ 2018年8月22日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は、「松川るいが行く!」をご覧ください。