就職活動のルールはあった方が良いと思っていたが…

福田 峰之

経団連会長、就活ルール廃止に言及(日本経済新聞)

経団連の中西会長が就職活動のルールを廃止するということに言及しました。面接解禁日、内定日を決める事によって、学生の本来業務である勉学に影響が出ないようにする。企業にとっては、「時は金なり」効率性を考えれば、4月一括採用で、面接も同じ時期に行い、学校名でふるいにかける。学生にとっては準備しやすい、勉学の時間が確保できる。

企業にとっては、確かに効率性が高い。僕も以前は、就職活動のルールはあった方が良いと思っていました。でも、資源もなく、人材こそが全てと言われる国がとるべき対応だったのか、現在では疑問を感じています。

写真AC:編集部

機械ではあるまいし、人材ってOne Of Themなんだろうか?企業内で育てればよいから、誰でもよいという事なのだろうか?企業内で本当に人が育っているのだろうか?学生も同じ服着て、同じ時期に企業訪問して、同じようなことを面接で答えて、名の知れた大企業志向で、本当によい思っているのだろうか?政府も政治家も、この両者の思考で、人口減少社会で経済を大きくし、社会保障が充実した国になると考えているのだろうか?

今の僕は正直、難かしいと思っています。今では、そもそも採用はグローバルです。英語が当たり前のように話すことが出来れば尚更です。採用は経団連加盟企業、広く言えば日本企業だけが考えているわけではありません。

4月一括採用とするのではなく、企業が必要な人材を必要な時に採用する。そうなると学生も自らの生き方を考えて、自分にとって必要な能力を手に入れるためにある人は勉学に、ある人は実践・実務という技術に力を入れる事になるのです。それぞれ能力を高めた人材を採用する側は時間をかけて面接し、時にはインターンをさせて、正式な採用に至ることが望ましい。

何処の学校なのか、がフィルターになっているという事は、確率としてその学校の卒業生は今まで良かったということであって、一人一人を見ているわけではない、つまり確率論なのです。

そもそも就職する事だけが、卒業後の将来ではないはずです。起業するということも選択肢の一つであるはずです。学生時代に研究開発やビジネスモデルの構築に精を出し、起業する、そうした若者が多数出てくることも活力です。組織にぶら下がるのではなく、自ら組織をつくるという事です。

人には向き不向きもあるので、全員が起業しろということではもちろんありません。向かないのに起業しても、幸せになれないからです。

単に学生の就職活動として、捉えるのではなく、日本の将来を考えた時に人材の在り方はどうあるべきか、という回答としての就職活動にしてもらいたいと考えます。政府の役割は、新卒であろうが、中途であろうが、官民・政民・民民だろうが、人材の流動化の仕組みを構築することを先ず行うべきです。

固定されること、妨げになることを排除する事は、労働者の権利を奪うことでも、軽んずることでもありません。もちろん、社会的弱者に対するサポートはしっかりやることは言うまでもありません。経団連会長が考えを述べたわけですから、一度、立ち止まって考えるべきです。


編集部より:この記事は元内閣府副大臣、前衆議院議員、福田峰之氏のブログ 2018年9月4日の記事を転載しました。オリジナル記事をお読みになりたい方は、福田峰之オフィシャルブログ「政治の時間」をご覧ください。