「改革政党」都民ファーストの会が死んだ日。品川区長選挙での迷走の果てに…

音喜多 駿

こんにちは、都議会議員(北区選出)のおときた駿です。

9月最終日の30日は、政界が大きく左右された一日となりました。

小池百合子知事が都議会の会期中に突如、自公推薦候補の選挙応援に行き物議を醸し出した(過去記事参照)沖縄県知事選挙は、野党推薦の玉城デニー氏が大差をつけて当確

社会的にはこの沖縄県知事選のほうがもちろん大きなニュースですが、私が注目していたのはやはり、都内で行われた品川区長選挙でした。


画像引用元

品川区長選、現職・浜野健氏4選…新人2人破る : 読売新聞
https://www.yomiuri.co.jp/election/local/20180930-OYT1T50179.html?from=tw

接戦報道もあったものの、こちらもフタを空けてみれば現職が圧勝。

小池知事が推薦し、立憲民主・共産党・自由党・都民ファーストが推した野党統一候補は敗北し、推薦候補2連敗となった小池知事の求心力低下は避けられない情勢です。

過去記事:
品川区長選で「羽田新ルート撤回」を公約に掲げる候補を推薦する、小池知事の大いなる矛盾

https://otokitashun.com/blog/daily/18872/

今回の区長選における小池知事の問題点はすでに指摘した通りですので、今日はついに共産党とまで「相乗り」してしまった古巣・都民ファーストの会について筆を執りたいと思います。

「おまえが言うな」との批判は殺到すると思いますし、こんなことを私が書いたところで響く範囲も限定的ではありますが、今回の区長選を巡る都民ファーストの会の迷走はあまりにも度し難いものでした。

当初、都民ファーストの会は様々な政治的背景から野党統一候補を応援するものの、一部議員たちが応援するに留まると見られていました。

なぜなら小池知事同様、都民ファーストの会と推薦候補の政策・政治姿勢には明確な矛盾があるからです。

野党統一候補が政策の一丁目一番地として掲げている「羽田新ルート撤回」について、これを求める陳情に都民ファーストの会は都議会の議決で反対しています。もちろん、会派内は全員一致です。

これからインバウンド政策等を強化していく東京都政において、羽田空港機能強化の重要性は都議としてわかっているはずであり、この重要政策で矛盾した態度を許容するのならば政党・政治家としての自殺でしょう。

さらに選挙戦終盤、相乗りしている共産党に引きづられて、ついに都民ファ都議が「給食無償化」というバラマキ政策まで主張するに至りました。

給食無償化条例も、少し前の都議会定例会で共産党から提出されており、都民ファーストの会は当然のことながら反対しています。

まさに今回の品川区長選挙において、都民ファーストの会は勝つためのなりふり構わない態度を取り続けました。

一部議員による応援のはずが、最終日には党三役まで入る「挙党態勢」を敷き、もはやこうした矛盾・選挙至上主義こそが党そのもののあり方であることは否定できない状態と言えます。

政党として野党統一に便乗した政治信条や政策的矛盾を、どのように説明するのでしょうか?

品川区長選挙に応援に入り、口々にSNSなどで「羽田新ルート反対!」を主張した都議たちは、自らの口でそれを説明できるのでしょうか?

できないでしょうし、やろうともしないと思いますけど。

「何を言われようと、勝つことが重要なんだ!勝ってこそ存在感を発揮できる!」

という政界の理論を、私は全否定をしません。ですが裏を返せばそれは、そこまでやって負けたらすべて終わりです。政党の死です。

「しがらみのない政治」
「ふるい議会をあたらしく!」

と言っていたはずの都民ファーストの会。その設立者である小池百合子知事は都知事選挙において、どの既存の政治勢力からも応援・推薦を受けず、まさにしがらみのない状態で闘いを勝ち抜きました。

しかし都議選のために連合や創価学会と手を結び、都議会運営のために公明党の軍門に下り、業界団体に擦り寄ってパーティー券を売り、日に日に「しがらみのない」という看板は地に落ちていき…。

そこに加えて今回、バラマキ政策を主張する共産党というしがらみまで抱えてしまったのですから、改革政党として完全に終わったと断言せざるを得ないでしょう(とっくにもう終わっていた、という異論は認めます)。

都議会が新しくなんてならないと思いつつ、どこかにまだチャンスがあるんじゃないか、いつか都民ファーストが目覚めてくれるんじゃないかと、少しだけ期待していた自分がどこかにいました。

ですが、今回でその最後の灯火も消えてしまったように思います。

さようなら、私の知っていた「都民ファースト」。

多くの都民の期待を背負って選挙で生まれた改革政党は、1年と少しで選挙によって亡くなりました。

青雲の志を背負って政界にやってきた若者たちが、古い慣習に染まるのに1年という時間は十分すぎるものだったのかもしれません。

二度とこういう悲しい思いをしたくないから、私は今度は私自身の手で、あたらしい政治を創ることに挑戦していきたいと思います。

自戒も込めて、前を見て。

それでは、また明日。


編集部より:この記事は東京都議会議員、音喜多駿氏(北区選出、かがやけ Tokyo)のブログ2018年10月1日の記事より転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はおときた駿ブログをご覧ください。