築地市場が終わった日。決意新たに

川松 真一朗

東京都議会議員の川松真一朗(墨田区選出・都議会自民党最年少)です。

祝・豊洲市場オープン

2018年10月11日は待ちに待った豊洲市場オープンです。歓迎ムードと困惑ムードのテレビ報道がなされているようです。誰でも勝手が分からないもの。皆さんも引越ししたら、駅までのアクセスとか、スムーズにいかないものです。慣れれば、運用面も変わってくると思います。末永く温かく、東京中、日本中、世界中の皆さんにお支え頂きたいです。何卒宜しくお願いします。少なくとも私は「世界で一番の市場」にするために議会人として心血を注いで参りました。

(心配された初日。各所が動き始めた。)

築地市場ファイナル

と一方で、10月10日24時で、1935年の開業以来賑わって参りました築地市場はその歴史にピリオドを打ちました。やはり、その最後の場面に立ちあって、政治に翻弄された最後の残像を頭に残しておくべきだと思い立ち、山崎一輝都議と築地に向かいました。

(10月10日24時で正門のゲートが閉められて)

一方で、豊洲市場はとんでもない風評被害に遭い、先日出演させて頂きましたTBS系列「ゴゴスマ」でも未だに払拭できていない面があるなと感じました。小池知事が移転延期を決めてからこの2年間は本当に「都政のブラックホール」でした。間違って欲しくないのは、私は「一旦立ち止まった」事を悪く思っていません。一旦が2年になった事を悔しく思います。

(活気は豊洲へと移る)

2016年都知事選の一部で「豊洲市場候補地」の土壌は争点になりかけていたのは事実です。この時には小池知事はそんなに触れていなかったと思います。知事選が終わって、AbemaTVで田嶋陽子さんと一緒になった時に、控え室で氏から本件について言及されました。その後、小池知事は8月30日に「一旦立ち止まった」わけです。この間に地下空間が見つかり、地下水問題が必要以上に不安を煽りました。でも、結局は本日移転を迎えたのです。

豊洲市場は安全な市場として

簡単に、豊洲の土壌について振り返っておきます。

そもそも、移転延期前の段階で、豊洲市場の敷地は土壌汚染対策法上「形質変更時 要届出区域」に指定されていました。(本件の指定権限を有しているのは、環境局。つまり都の場合、知事)この趣旨は、安全対策が施された土地として、法律上のお墨付きを得ている土地であるということであり、必要以上に不安を煽るエリアではなかったのです。

(こういうビラも貼られていました)

では、この2年間に指定について動きはあったのでしょうか?もしも安全上の問題があるというのであれば、法律上の安全にも問題があるとして、知事はその再調査するなど検討すべきだったのではないかと思ってなりません。そもそも安全対策を施してあるからこそ、「形質変更時要届出区域」になって以来、豊洲の地は安全であり続けていたのです。

確かに、「追加対策工事」という35億円の工事が1年前の都民ファースト圧勝、自民党大敗の都議選後直ぐから議会で議論されました。自民党は即時移転を進める立場として、既に「安全である」という立場でしたが工事には賛成しました。ただし、この工事は屋上屋を架する追加対策工事であり、東日本大震災級の地震があって、万一、億万が一、地下のベンゼンなどが揮発した際にも大丈夫になったようにしただけだという認識です。

私達は、安全安心に問題があると「豊洲市場」にネガティブ空気を作られた小池知事の「安全宣言」を求め続けたのです。それは申請者自ら安全だと言えない市場を認可権限者の農水省が簡単に認めないのは道理。それがためか、認可申請の前日に、知事は安全宣言を帳尻合わせ的に出したと言われています。繰り返しになりますが、認可申請前にも市場は安全だった。そうでなければ、開場前に、市場業者の皆さんに事前の訓練などできるはずもないではないかと言い続けたのが自民党でした。

何れにしても、2年遅れてしまいましたが、この市場をパリ「ランジス」やNY「フルトン」を超えて世界の中心たる「豊洲市場」を創り上げていく。更には、豊洲埠頭全体を東京パワーの拠点として成長させていく政策を進めていく所存です。

豊洲は夢と希望の拠点です。

「豊洲」は悪くない。市場問題の風評除去と信頼獲得を(2017年3月15日付け)


編集部より:このブログは東京都議会議員、川松真一朗氏(自民党、墨田区選出)の公式ブログ 2018年10月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、川松真一朗の「日に日に新たに!!」をご覧ください。