人は死ねばゴミになる?ホーキング博士の“神探しの道”は続く

英国の著名な理論物理学者スティーヴン・ホーキング博士の遺作「大いなる問への簡潔な答え」(Brief Answers to the Big Questions)が出版直後、独週刊誌シュピーゲルの新著ベストセラーリストに入っていた。「大いなる問い」に関する博士の生前の答え、発言をまとめたものだ。ここでいう「ビック・クエッション」は主に「神は存在するか」、「死後の世界は」といった哲学的なテーマや、宇宙とは、ブラックホールとは何か、といった純粋な物理学的な問いかけだ。

今年3月14日、76歳で死去したホーキング博士(公式Facebookより:編集部)

ホーキング博士は生前から神の存在については否定的だと聞いていたが、「人間は死ねばゴミになる」と考えているホーキング博士の徹底した無神論にはやはり驚かされる。若い時は無神論でも年を経た後、宗教の門を叩く政治家、知識人は少なくないが、博士は生涯、神の存在を信じていなかったのだろうか。

博士は学生の頃に筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症し、車椅子に乗ってコンピューターの合成音声で話しながら、研究や講演を続けた。博士の生涯を描いた映画(The Theory of Everything)が2014年、英国で制作され、博士役を演じた俳優エディ・レッドメインが第87回アカデミー主演男優賞を受賞した。当方もDVDで観た。

「科学」と「宗教」を対立的な概念と考えれば、ホーキング博士は科学者として宗教の世界を完全に否定していたといわれているが、一流科学者の中には神を信じている人が多いのも事実だ。

国連は過去と現在から300人の科学者を選び、神を信じているか否かを調査したことがある。300人中、神を信じない科学者は20人に過ぎなかった。一方、神を信じると明確に示した人は242人で、世界的に著名なニュートン、エジソン、X線を発見したヴィルヘルム・レントゲン、電池を発明したアレッサンドロ・ボルタ、アンドレ・マリ・アンペール、ゲオルク・オーム、キュリー夫人、アインシュタイン等々がその中に名を連ねていた(「大多数の科学者は「神」を信じている」2017年4月7日参考)。

ホーキング博士は神を信じる大多数の科学者の中には入っていない。神の存在を否定し、天国も地獄も信じない博士はある意味で気持ちがいいほど無神論者だ。不可知論者のような中途半端な世界観ではない。それだけに、どうして博士は神の存在をそんなに確信をもって否定できるのかと強い好奇心が沸いてきた。

多くの科学者は科学の道を追求しながら、物質世界、現象世界の背後に人間の知性をはるかに超えた神の存在に出会い、感動する。理論物理学を学んだホーキング博士は同じ宇宙を眺めながら、「神は存在しない」という確信を得たわけだ。前者の科学者と博士は神の存在においては、まったく180度異なる答えを得ている。その違いはどこから生じたのだろうか。何が決定的な違いをもたらしたのかを考えざるを得なかった。

博士は学生時代にALSにかかり、その後、生涯車いすの生活を送った。若きホーキング博士にとって、突然の不治の病は自身の人生計画、世界観を根底から変えてしまっただろうと想像する。生まれた時から障害を抱えていた人と青年時代に病に襲われた人との間にはやはりその後の生き方や考え方に違いが出てくるのは当然かもしれない。

博士は「必然」を拒否し、全ては「偶然」と考えていたという。博士にとって自身の病を「必然的結果」と受け入れることは絶対に出来なかったのだろう。ギャンブルでサイコロを振るように、突然自分にその病気が振りかかったと考えて生きていく以外に他の選択肢がなかったのではないか。

当方はこのコラム欄で「量子物理学者と「神」の存在について」(2016年8月22日参考)というタイトルをコラムで書いた。 量子テレポーテーションの実現で世界的に著名なウィーン大学の量子物理学教授、アントン・ツァイリンガー氏は、「量子物理学が神と直面する時点に到着することはあり得ない。神は実証するという意味で自然科学的に発見されることはない。もし自然科学的な方法で神が発見されたとすれば、宗教と信仰の終わりを意味する」という。

最近ではインテリジェント・デザイン論(ID理論)に共感する科学者が増えてきた(「学校で進化論と創造論を並列に」2007年9月7日参考)。最近売り出し中のカナダのトロント大学心理学者J・ペーターソン氏も神の存在を信じている。彼らはホーキング博士のように理論物理学者ではないが、その分野ではトップ級の知識人だ。

一方、ノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサは親族宛ての書簡の中で神やイエスの不在感に悩まされている(「マザー・テレサの苦悩」2007年8月28日参考)。「大いなる問い」の代表、神の存在の有無は各自が生涯問いかけていくテーマではないか。信じている人も人生の途上、神への疑いが出てくるケースはマザーテレサだけではない。

イエス・キリストを迫害してきたサウロがダマスコ近くで“復活したイエス”に出会い回心する通称“サウロの回心”(使途行伝9章1節から8節)は聖書の中でもよく知られた話だ。サウロがパウロに回心したような出会いをする人もいるはずだ。

ホーキング博士によれば、宇宙は科学法則にしたがって無から生じ、無であり続けている。博士には、天国も死後の世界も存在しない。そして宇宙には意味はなく、偶然が支配しているというわけだ。だから、「宇宙は偶然だけが支配しているカジノ」という表現も飛び出してくるわけだ。そのレトリックの凄さに驚くが、同時に寂しさも感じる。「宇宙」に意味はなく、目的もないと信じられる博士の強靭な神経に驚きさえ感じる。

宇宙すべては偶然に誕生したものだろうか。先のツァイリンガー教授はオーストリア週刊誌「プロフィール」とのインタビューの中で、「偶然でこのような宇宙が生まれるだろうかと問わざるを得ない。物理定数のプランク定数がより小さかったり、より大きかったならば、原子は存在しない。その結果、人間も存在しないことになる」と指摘している。宇宙全てが精密なバランスの上で存在しているというのだ。

ホーキング博士は病と闘いながら、「神の存在」、「死後の世界」など「大いなる問い」について真剣に考え抜いた。博士は神の存在を否定したが、博士の“神探し”の道はまだ終わっていない、と信じたい。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2018年10月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。