日本で初めての医療的ケア児を預かれる保育園を創った自分も、最近になって知ったことがありまして。
ももかちゃんのケース
目黒区の山田萌々華(ももか)ちゃんは、おしゃべりが上手な小学校4年生。ただ、気管切開をしていて、呼吸を助ける人工呼吸器をつけています。
そんなももかちゃんのような医療的ケア児は、通常は特別支援学校に通いますが、特別支援学校では呼吸器をつけていると「お母さんも同伴してください。授業中ずっと」となります。
お母さんは経済的な状況から仕事を続ける必要があるし、何より子どものせいで仕事を辞めた、と思いたくないと思っています。だから同伴はできません。
そんなももかちゃんに残されている選択肢は、訪問教育。先生が家まで来てくれる形態の教育です。
ただし、1回2時間。
しかも、週に3回だけ。
義務教育で定められている時間数、教育を受けることはできません。
ももかちゃんは、もっともっと勉強したいと言います。
ももかちゃんのお手紙です。
ももかちゃんのスピーチがこちら。
何の責任もないももかちゃんに、「私はそんなに悪い子ですか?」と言わせてしまう社会とは、何なのでしょうか?
9歳の人工呼吸器の男の子のケース
東京のある区に、先天性の筋肉の疾患で寝たきりで、気管切開をして人工呼吸器をつけている9歳の男の子がいます。仮にAくんとしましょう。
Aくんは、話すことはできないのですが、手でペンを動かし、iPadの文字盤で文章を作って会話ができます。
分数の掛け算、割り算もでき、本も大好き。
今読んでいるのは、
「君たちはどう生きるのか」 吉野源三郎
「世界最高の人生指南書 論語」守屋洋
だそう。
そのAくんは、最近では、特別支援学校の文化祭で「三匹のこぶた」の練習をしているそうです。
学校に行っても、彼の知的水準に応じた教育は受けさせてもらえていない、という状況のようです。
彼からのメッセージです。(原文ママ)
自分が9歳の時に、果たして「ストイック」なんて言葉を知っていただろうか、と思うと、驚嘆せざるを得ません。
彼の中に静かに眠る可能性の大きさたるや、いかほどのものでしょうか。
そして日本の教育システムはその可能性に気づかず、放置し、彼の可能性を開花させようと努力することはこれからも無いのでしょう。
義務教育の恩恵を受けられない医療的ケア児たち
医療的ケア児達の中には、医療的デバイスを必要としながらも、知的遅れが無かったり、あっても僅かであったり、という子がいます。
そうした子ども達は通常の小学校等に行った方が良いのですが、普通の学校は医療的ケア児の受け入れに消極的です。
一方障害児が通う特別支援学校でも、看護師が常駐しているにも関わらず、昔からのルールで、医療的ケア児は親の同伴を求められ、共働きを続けたい場合は訪問教育を余儀なくされます。
訪問教育は2時間×週3と僅かな時間しかなく、義務教育の水準を満たしていないのです。
であれば、と親が共働きを諦めて同伴したとしても、特別支援学校で知的な遅れの無いAくんのような医ケア児に合わせた教育を受けられるかというと、それも不確かな状況です。
目指すべきは特別支援学校の無い社会では?
そもそも私たちの目指すべき社会は、ももかちゃんもAくんも、普通の学校に普通に行ける社会なのでは無いでしょうか。
今は特別支援学校があり、様々な障害がある子は特別支援学校に行くことになっていて、それはそれで効率的に教育を提供できて良い面もありますが、社会に出て障害者も健常者も共に暮らすのだとすれば、教育段階から混ざり合う方が良いのでは無いか。
例えばももかちゃんやAくんのケースでいったら、補助教員が付き、授業をサポートしていくことで、「共にある」ことができます。
補助教員は何も医療的ケア児だけに必要なわけではなく、発達障害児や外国人。グレーゾーンにいる子など、様々な環境の子ども達に伴走することで、その子達の可能性を引き出すことが可能になります。
先生の人手がない?
いや、少子化で子ども達の数が減って学校の先生が相対的に余るようになったら、先生を減らすのではなく、副担任や補助教員になっていってもらえば良いんですよね。もちろん残業は減らしていくべきなので、部活のコーチのアウトソースなど進めながら。
予算がない?
いや、そこはお金をむしろかけましょうよ。幼児教育無償化とか、全然ニーズが無いのにやるお金はあったわけだから。
そんなわけで、2040年くらいには、特別支援学校も普通の学校も統合されて、「みんなの学校」になっていることを目指したいな、と思います。
もちろん僕も傍観者ではなく、問題を生み出すシステムの一部として、行動したいと思います。まずは、健常児が主に通う認可園を医療的ケア児対応型にしたり、障害児保育園と認可保育園をまぜこぜの運営にしたりして。
保育園でもやれるんだから、小学校でもやれるよ、と言えるように。
そしてこれは現場の先生や政治家、教育関係者全員に言いたいんですが、ももかちゃんやA君が私たち大人に突きつけている宿題を、見ないふりしてちゃいけないと思うんです。
「全ての」子ども達に教育を。
それは我々、21世紀の日本を生きる大人である我々が、諦めちゃいけない最後の一線だと思うんです。
編集部より:この記事は、認定NPO法人フローレンス代表理事、駒崎弘樹氏のブログ 2018年11月26日の投稿を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は駒崎弘樹BLOGをご覧ください。