ロクイチ国債の暴落

久保田 博幸

読売新聞が国債に関する特集を組んでおり、28日に「JGB編 金利上昇、国債暴落の悪夢」との記事が読売新聞のサイトにもアップされた。

「ロクイチ国債の暴落――。1978年度に発行された表面利率6.1%の10年物国債は、1980年に額面100円の価格が70円台まで下がった。直接の引き金となったのは日本銀行による利上げだ。」

このあたり、私なりに少し解説してみたい。国債の流動化があまり進んでいなかったころに、国債は一度大きな暴落を経験した。それが、ロクイチ国債と呼ばれた国債の暴落である。1978年は当時とすれば低金利局面であり、4月にそれまで発行された10年国債の最低利率である利率6.1%(通称、ロクイチ国債)の国債が発行された。繰り返すが6%でも当時は超低金利となっていたのである。

当時の国債発行はこの10年債が主体である。1979年6月に2年債が初めて発行されたが、これは個人向けを意識したものであった。20年債の発行は1986年10月からである。

ただし、その10年債もそれほど流動性があったわけではない。当時の債券市場といえば電電公社(のちのNTT)や電力債、金融債の取引が多かった。それでも10年国債の利回りは長期金利としての指標の役割を担っていたと思われる。

1979年4月以降、本格的な金利上昇局面となり、国債価格は大きく下落した。景気拡大や原油価格の上昇により、6月にロクイチ国債の利回りは9%を超えてきた。この国債の下落を受けて、国債市況対策として国債整理基金による国債の市中買入れがはじめて実施された。現在は日銀が大量の国債を保有しているが、これ以降、国債整理基金の国債保有額が大きくなっていく。12月には金融機関の保有国債の評価法が、従来の低価法から原価法または低価法の選択性となった。

1980年に日銀は2月、3月と立て続けに公定歩合を引き上げ、長期金利も大きく上昇し、ロクイチ国債は暴落した。4月にロクイチ国債の利回りが12%台にまで上昇し、金融機関がパニック状況に陥ったのである。

その後、米国金利の急激な低下などにより債券市況は急回復したが、ロクイチ国債の暴落は大蔵省(現財務省)の国債管理政策にも大きな影響を与えたと言われる。

ちなみに私が債券市場に関わるようになったのは1986年であり、ロクイチ国債暴落の話は先輩に聞いた程度で、その場に接してはいなかった。債券市場の流動性が確保されるようになったのは、1985年に金融機関によるフルディーリング開始、同年の債券先物の上場がきっかけとなっている。


編集部より:この記事は、久保田博幸氏のブログ「牛さん熊さんブログ」2018年11月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。