○○力について語るときに、僕の語ること

本日、19時ごろよりTOKYO FM「Skyrocket Company」に生出演。本日のテーマはこれ。

【12月11日(火)会議テーマ】「ああ!○○力が欲しい!案件 ~私に足りない社会人の武器!~」

・・・なんとタイムリーなんだろう。ちょうど、順天堂大学が女子を一律に減点し、「コミュ力が高いため補正」と説明した案件の直後に「○○力」について語るとは。

順大入試、女子を一律に減点「コミュ力が高いため補正」:朝日新聞デジタル

明らかに差別であり、公正なものだとは言い難いのは言うまでもない。女子はコミュ力が高いものという前提も頂けない。このコメント自体、コミュ力が低い女子(自分で認識している女子、そう指摘されている女子)を傷つけているし、女子像の押し付けでもある。

個人的には「コミュ力」の「氾濫」「乱用」が気になった。この言葉は、常に雑に使われている。彼らがいうコミュ力とは何だろう?言語・非言語、発信力・傾聴力・会話力など「コミュ力」の分解の仕方も様々である。単に「話が上手い人」くらいのレベルで使っているとしたら大変に残念だ。

「○○力」について語るときには
・それはどんな能力を指しているのか?
を確認しつつ話さなくてはならない。その人なりの定義やニュアンスを確認しないと議論が成り立たないのだ。

関連して・・・。

「優秀」という言葉も面倒だ。

これは、大学の教職員が学生に対して成績について、企業の経営者や人事担当者、現場の上司が人事評価の点数についてなど、評価している点や、その基準が明確ならまだわかりやすい。

ただ、たとえば新卒採用の現場で雑に使われるとなると厄介だ。何を基準にどう評価したかが不明確なまま、言葉が広がっていくからだ。特に「声の大きい(影響力のある、あるいは声量が大きい)」人に言われると厄介だ。根拠が怪しい評価が組織内に広がるからだ。

というわけで、その言葉は何を指すんだろうということを確認しないと議論はできない。

それにしても・・・。

コミュ力という言葉を久々に聞いた。しかもこんなかたちで。やれやれだ。

さ、ラジオ、頑張る。笑いと知的刺激にあふれる時間にするよ。


編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2018年12月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。