東京地検特捜部が、日本の社会のみならず、国際社会に衝撃を与えた「日産カルロス・ゴーン会長逮捕」、その事件が、12月10日の勾留延長満期で、一つの節目を迎えた。
有価証券報告書に記載されなかった役員報酬というのが「退任後の報酬の支払の約束」に過ぎないことが報じられ、その程度の事実で逮捕を行ったことに衝撃を受けたが(【役員報酬「隠蔽」は退任後の「支払の約束」に過ぎなかった~ゴーン氏逮捕事実の“唖然”】)、起訴事実も、報道されていた事実と全く変わらなかった。そして、再逮捕事実も、報じられていたとおり、当初の逮捕容疑と同じ有価証券報告書の虚偽記載罪の「直近3年分」だった。
検察は、起訴直後の東京地検次席検事の記者会見でも、起訴事実、再逮捕事実について、「捜査の内容に関わるので答えを差し控える」として説明せず、一つの犯罪による「逮捕・勾留」を繰り返す違法な身柄拘束ではないかとの批判にも全く耳を貸さなかった。
一方で、メディアには詳細に「非公式説明」しているようで、報道によって、検察の主張や証拠関係が概ね明らかになっており、それにより、起訴事実、逮捕事実が虚偽記載罪に当たらないとの確信は一層深まった。
しかし、報道には、捜査・処分を正当化しようとする検察からリークを受けてバイアスがかかっているのか、問題点の整理が適切に行われているとは言えず、条文に書かれた「犯罪行為」すら正しく伝えられてない。
報道が、世の中に、ゴーン事件についての誤解を生んでいる。
有価証券報告書虚偽記載罪は「虚偽の記載」ではなく、その「提出」が犯罪行為
ゴーン氏らの起訴・再逮捕について、NHKは、次のように報じている。
日産自動車のカルロス・ゴーン前会長について、東京地検特捜部は有価証券報告書にみずからの報酬を少なく記載していたとして、金融商品取引法違反の罪で起訴し、法人としての日産も合わせて起訴しました。また、特捜部は昨年度までの直近の3年間でも、42億円余りの報酬を少なく記載していた疑いで、ゴーン前会長を再逮捕しました。
他のメディアの報道も、概ね同様である。
しかし、ここには、重大な誤謬がある。
有価証券報告書虚偽記載罪を規定する金融商品取引法197条1項1号は、「有価証券報告書若しくはその訂正報告書であつて、重要な事項につき虚偽の記載のあるものを提出した者」を罰するとしている。
つまり、「虚偽記載罪」と称されているが、犯罪行為は「虚偽の記載をすること」ではなく、「虚偽の記載のある報告書を提出すること」なのである。犯罪の主体は、「報告書を提出する義務を負う者」であり、日産の場合は代表取締役CEOである。
当初の検察当局の発表では、逮捕容疑は、「有価証券報告書に虚偽の記載をして提出した」と概ね正しく説明されていた。ところが、その後の報道では、逮捕容疑が、「報酬を少なく記載していた」という書き方になり、上記のNHKの記事は、起訴事実についても再逮捕容疑についても、「少なく記載していた」としており、「虚偽の記載」をすることが犯罪であるかのように表現している。
当初の逮捕容疑の2015年3月期までの5年間は、ゴーン氏がCEOだったので、ゴーン氏自身が提出義務を負うため、「虚偽記載」であっても「提出」であっても、大きな違いはない。しかし、直近2年分については西川氏がCEOなのであるから、虚偽の有価証券報告書の「提出」について、まず責任を問われるのは西川氏だ。
上記のNHKの記事では、
退任後の報酬に関する別の文書には西川廣人社長のサインもあったということで、特捜部は長年にわたる巨額のうその記載を許した責任は重いと判断し、法人としての日産も起訴しました。
としている。しかし、西川氏は、「うその記載を許した」だけでなく、ゴーン氏の「退任後の報酬」について西川社長が認識していたとすれば、「うその記載のある報告書を提出した」疑いがあるのであり、少なくとも、直近2年分については、「法人としての日産の起訴」だけにはとどまらない。西川氏自身の刑事責任の問題を避けて通ることはできないのである。
「退任後の報酬の支払の確定」をめぐる“混同”
もう一つの問題は、「退任後の報酬の支払」について、(a)「支払の金額」、(b)「支払の確実性」、(c)それが「役員報酬」であること、という3つの問題とが混同されていることである。
多くの記事で、
特捜部は、ゴーン容疑者が退任後に受け取ることにした報酬に関する覚書など複数の文書を退任後の報酬が確定していたことを示す証拠とみている。これに対して、ゴーン氏らは、「退任後の報酬は正式には決まっていなかった」などと供述し、いずれも容疑を否認している
などと、検察側の主張とゴーン氏側の主張を紹介していたが、今回の起訴の段階で、この点について、さらに詳しく報じている。
検察から最も正確な情報を得ていると思われる朝日(12月11日)の記事では以下のように書かれている。
特捜部は、不正の実行役とみる秘書室幹部らと司法取引し、刑事責任を減免する見返りに複数の文書を入手した。
中でも重視するのは、年間報酬の総額(約20億円)と、その年に受け取った額(約10億円)、差額(約10億円)の3項目が具体的に記載された合意文書(「書類1」)だ。一部のものにはゴーン前会長と秘書室幹部の署名があるとされる。秘書室幹部は、退任後の報酬支払いを確約する文書だと説明し、「ケリー前代表取締役にも報告した」と供述しているという。
また特捜部は、「報酬隠し」を補強する証拠として、退任後の支払い方法が書かれたという書面(「書類2」)にも注目する。コンサルタント契約や競合他社に再就職しない契約など、複数の別の名目が記されており、報酬の一部だと分からないようにする隠蔽工作とみている。
この書面には、ケリー前代表取締役と共に、西川(さいかわ)広人社長兼CEO(最高経営責任者)の署名があった。特捜部は西川社長について、前段の「報酬隠し」の認識が不十分だったとして刑事責任の追及には慎重な姿勢だが、不正を知り得る機会があったと経営責任を問われる可能性はある。
「支払の金額」について、ある年度の役員報酬として予定していた金額のうち、その年度には役員報酬として一部しか支払わらわず、退任後に別の名目で支払われることを予定していた場合、退任後の支払予定額をどのような金額に設定するかという問題(a)と、それがどのような条件で支払われるのか、確実に支払われるのかという問題(b)とは別の問題だ。それを、その年度に役員報酬としての支払を予定していた額と、実際に支払った額との差額にするというのは、一つの支払予定額の設定の方法だが、金額をそのように設定することは、退任後の支払が確定的であることには直接結びつかない。
朝日記事の書類1で、退任後の支払予定額が「年間報酬の総額と、その年に受け取った額の差額」とされているが、それは、支払の確実性に直接結びつくものではない。また、同記事で、「秘書室幹部は、退任後の報酬支払いを確約する文書だと説明した」とされているが、秘書室幹部には、退任後の報酬を確約する権限はないし、ゴーン氏にも、その年度で支払う報酬額を確定させる権限はあっても、自分が退任した後の報酬支払を確定させる権限はない。
そして、さらに問題なのは、契約の効力としての(b)の「支払の確実性」の問題と、それが「役員報酬」の支払と言えるのかという問題(c)とが混同されていることだ。
「退任後の支払い方法が書かれた書面」の法的有効性
朝日記事によれば、退任後の支払い方法が書かれたという書面(書類2)に、コンサルタント契約や競合他社に再就職しない契約など、複数の別の名目が記されているとのことだが、問題は、書類2の内容となっている「コンサルタント契約や競合他社に再就職しない契約」の有効性だ。
その書類には西川社長も署名しているのであるから、法的に有効なのではなかろうか。そうだとすれば、(b)について、「退任後の支払はほぼ確実」と言えるが、それによって支払われるべき報酬は、「コンサルタント契約や競合他社に再就職しない契約」の対価であって、「役員としての業務の対価としての役員報酬」ではない。したがって、その金額を有価証券報告書に「役員報酬」として記載する義務はなく、虚偽記載罪は成立しない。
朝日記事からすると、検察は、この書類2が「報酬隠し」を補強する証拠であり、「報酬の一部だと分からないようにする隠蔽工作」と見ているとのことだが、だとすると、この書類2は、偽装工作のためのものであって、法的に無効ということになる。しかし、書類2が法的に無効なものであれば、(b)の支払の確実性が否定されることになる。
つまり、書類2が有効なものであれば、「退任後の支払」は相当程度確実なもので、それによって(b)の「支払の確定」が肯定される余地はあるが、それは、そのコンサル契約や競業避止契約の対価の支払であって役員報酬ではないので、(c)の「役員報酬」が否定される。また、書類2が「偽装工作」のための名目だけのもので法的に無効なものであれば、 (b) の「支払の確定」が否定される。
いずれにしても、ゴーン氏の「退任後の報酬」について有価証券報告書への記載義務が生じる余地はなく、虚偽記載罪は成立しないのである。
「隠蔽工作」に加担した西川氏の刑事責任
しかも、もし、西川氏が、書類2が「隠蔽工作」のための書類で、それに社長の西川氏が署名をしたということになると、同氏は「役員報酬先送り」のための「偽装工作」に加担したことになる。
朝日記事は、
特捜部は西川社長について、前段の「報酬隠し」の認識が不十分だったとして刑事責任の追及には慎重な姿勢だ
と述べているが、契約が名目だけのものだったと認識していたのであれば、「報酬隠しの認識が不十分」とは言えないことは明らかだ。
直近2年分については、有価証券報告書の作成・提出義務者である西川氏が、第一次的な刑事責任を負うことは、前の記事で既に述べたとおりだが(【ゴーン氏「直近3年分」再逮捕で検察は西川社長を逮捕するのか】)、「役員報酬先送り」のための「偽装工作」に加担したということになると、それ以前の期の退任後の報酬支払についてもゴーン氏の共犯として刑事責任を負う可能性が出てくる。
西川氏のクーデターの動機に関する新事実
この点に関して、注目すべきは、西川氏が、12月9日の米紙ウォール・ストリート・ジャーナルが報じた事実である(【(時事)日産・西川社長の交代を計画=ゴーン容疑者、業績不振で叱責も―米紙報道】)。
ゴーン容疑者は何カ月にもわたり日産の経営陣の刷新を計画し、西川社長の交代も検討していた。ゴーン容疑者は西川社長の経営方針に不満を抱き、とりわけ最近の米国事業の不振についてたびたび叱責していた
というのだ。
この米紙報道のとおりだとすると、ゴーン氏に関する社内調査結果を検察に持ち込み、逮捕の3日後に、臨時取締役を開催してゴーン氏代表取締役解職を議決した「クーデター」の背景に、西川氏の個人的な動機が存在していた可能性が生じる。直近の年度で、約4億円近くもの高額報酬を得ていた同氏が、ゴーン氏による社長解任の動きを察知して、その地位を守ることが西川氏の行動に関係していたとすると、今回の事件の性格は、ゴーン氏と西川氏との内部抗争的な性格を持つものとなり、事件の性格は全く異なったものになる。
西川氏が「報酬隠し」の「隠蔽行為」に加担したとすれば、検察との間で「司法取引」が行われる余地もないわけではない。しかし、ゴーン氏の部下の秘書室長との間の「司法取引」であればともかく、社内の内部抗争の一方当事者との間で「司法取引」を行うというのは、「日本版司法取引」の制度趣旨にも著しく反するもので、そのようなことが明らかになれば、制度そのものが崩壊しかねない。
起訴の時点で報道されたとおりだとすると、当初の逮捕容疑の2015年3月期までの「5年分」についても、再逮捕の容疑にされた「直近3年分」についても、有価証券報告書虚偽記載罪が成立することは考えられない。
それでも、検察が、ゴーン氏の刑事責任追及に執着するのであれば、その捜査では、ゴーン氏追い落としの中心人物となった西川氏に対する捜査・処分をどうするかという重大な問題に直面することになる。
編集部より:このブログは「郷原信郎が斬る」2018年12月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は、こちらをご覧ください。