メリー・クリスマス。
娘は1歳半。覚えているかどうかは微妙なのだけど、結婚記念日でもあるので、クリスマス会のようなものはし。日曜日に38度代の熱を出し。月曜も体調が悪く、大学を休んだのだが(そう、今年はちょうど24日も大学はあったのだ、講義の日ではないので、休講にせずにすんだのだが)。とはいえ、子供のために。
妻子が寝静まったあとは、サンタのようなこともし(いや、サンタはいるのだぞ、あくまで日本の墨田区の代理店としてサンタをやったんだぞ)、娘にはバナナ一房引換券、妻には1万円を。「パパに優しくしてて」という置き手紙と一緒に。
もっとも、「普通だったかな」と反省もしている。というのも、ウチの実家にやってくるサンタは、小学生の頃に『はだしのゲン』や『ノストラダムスの大予言』を枕元に置くなど、なかなか強烈だったからだ。朝日・岩波英才教育のためには、岩波ブックレットや岩波ジュニア新書くらいかましておくべきだったか。なお、実家のサンタは高3の時には現金5,000円を裸のまま枕元に置くという、ありがたいような「これ、援助交際の現場じゃ?」というような、最後まで過激なサンタだった。
それはいいとして。
私たちはいつまでクリスマスパーティーを続けるのだろうか?
考える上ではこれまで、日本人がどのようにクリスマスを過ごしてきたかを確認しておきたい。昨年の12月12日に放送されたNHK「視点・論点」のコラムニスト堀井憲一郎氏の回が面白い。
詳しくはリンク先を読んで欲しいのだが・・・。
興味深いのは、戦国時代にもすでにクリスマスが存在していたこと。江戸時代の禁止期間を経て、明治に復活。大正天皇が12月25日に亡くなり、翌年から休日になったことがクリスマス・イブに重きをおく日本型クリスマス誕生のきっかけになったのではないかという説。さらには、ハロウィンの荒れる若者のように、すでに昭和20年代のクリスマスでは暴れる者がいたということ。その荒れるクリスマスに歯止めをかけたのが、高度経済成長。マイホームで家族と過ごすクリスマスに。そして恋愛資本主義が吹き荒れる1980年代からはカップルイベントに・・・。
最近はすっかり仲間イベントになったり、そもそも何もしない自由が容認されているような。なんというか、以前ほど「こうしなくてはならない」という圧を感じずにすむのは心地よい。
もっとも、前述したような、クリスマスの過ごし方を日本国民すべてがしていたわけでもないし。
なお、クリスマスソングといえば、相変わらず山下達郎が流れるわけで、これはこれで名曲なのだが・・・。
私はジュン・スカイ・ウォーカーズが好きというよりは、苦手で。ブルハの方が好きだし、そもそも比較するものでもないけれど。「白いクリスマス」この曲は好き。
あと、松任谷由実もなんせ「恋人がサンタクロース」がクリスマスソングかと思われているが「ロッヂで待つクリスマス」「忘れかけたあなたへのメリークリスマス」「3-Dのクリスマスカード」など佳作がいっぱい。
さて、クリスマスソングの新定番は誕生するのか?
編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2018年12月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。