【年末特集】ネット記事で振り返る「追悼2018」後編

アゴラ編集部

ゆく年を振り返る時、思い浮かぶのはあの人の在りし日の姿——。アゴラをはじめとするネットメディア、報道機関の電子版から「追悼記事」を引用させていただきながら、今年亡くなられた著名人やアゴラ関係者を、読者の皆様と一緒に偲びたいと思います。平成も終わりに近づいた今年は、激動の昭和・平成で一時代を築き上げた方の訃報が相次ぎました。(前編はこちら


桂歌丸さん 落語家
享年81 7月2日、慢性閉塞性肺疾患で死去

日本芸術文化振興会サイトより

笑点で歌丸さんとの軽妙なやりとりを演じた三遊亭円楽さん

とうとう洒落(しゃれ)にならなくなりました。…(略)…歌丸師匠と過ごした楽屋、旅先、ご自宅、沢山(たくさん)思い出が多すぎて、どこを喋(しゃべ)っても一片です。だから私の心にしまい込みます。だから思い出話はしません。人の心の中の思い出寿命皆様もそれぞれの思い出の中に歌丸師匠を生かしておいて下さいね。本当の父親、育ての親の先代。守ってくれた最後の父親との別れです。楽さんと呼んで側に置いて下さってありがとうございました。頼る人が居なくなりました…合掌。

(出典:朝日新聞デジタル 『とうとう洒落にならなく…円楽さん「言葉になりません」』7月2日)

浅利慶太さん 演出家
享年85 7月13日、悪性リンパ腫で死去

浅利演出事務所サイトより

愛弟子の俳優、市村正親さん

ゼロから教育してもらった俳優なので、僕の8割は浅利さんの演技論がしっかり入っている。浅利さんに教わったことを自分の俳優としての武器にして、一生懸命やろうと思っている。四季にいたときの情熱は死ぬまで持ち続けようと思う。

(出典:産経新聞 『浅利慶太さん死去】市村正親さん「四季時代の情熱 死ぬまで持ち続ける」』7月18日)

津川雅彦さん 俳優、映画監督
享年78 8月4日、心不全で死去

Wikipedia

30年来の友人で俳優の奥田瑛二さん(葬儀での弔辞より)

ケンカもしました、大ゲンカ。僕が芸術至上主義者だと酒を飲んで言いましたら、津川さんが目をキーっと開いて『なんだお前は、芸術至上主義?冗談じゃないんだよ、芸術至上主義なんてクソくらえだ!青二才。俳優というものはだな、すべて我々がしてることは、エンターテインメント。いかに人を喜ばし、楽しくさせるか、芸術を語るやつがそんなことはできない!』と言われて逃げだして隅で泣いておりました。ゴルフ場でですよ。

(出典:FNNプライムオンライン  『“おしどり夫婦”津川雅彦さん・朝丘雪路さんの合同葬 娘が明かした母の“お嬢様”エピソード』7月18日)

翁長雄志さん 沖縄県知事
享年67 8月8日、すい臓がんで死去

官邸サイト

翁長氏の死去後の沖縄知事選を取材した編集長・新田

安倍政権との法廷闘争を含めた激しい戦いで心身をすり減らした末に、翁長氏が「殉職」したとみる向きが出るのは致し方ないかもしれない。少なくとも知事就任後の国との戦いの末に病死したのは事実だ。しかし、翁長氏の「殉職」を語る上で、直近の事象しかみないのは近視眼的でもある。かつては自民党の沖縄県連で幹事長まで務めるほど、沖縄保守の中枢にいた人物が、なぜここまで「反権力」的になったのか。そうさせたものをしっかりみていかなければ本質を掴んだとは言えないのではないか。

(出典:アゴラ『翁長知事を「殉職」に追い込んだ真犯人は誰なのか』8月9日)

樹木希林さん 女優
享年75 8月4日死去

Wikipedia

樹木希林さんが紡ぐ言葉に注目していた岩田温さん

芸能事情には全く興味のない私は、樹木希林さんの逝去の後に知ったのだが、彼女は結婚した一年半後に夫と別居状態に陥り、娘と二人で生活を続けたという。別居はしたが、離婚はしなかった。夫との離婚を頑なに拒み続けた母の決意を娘が不思議に感じ、何故、別居状態を続けるのかを尋ねると、樹木希林は「彼には一片の純なものがある」と応えたという。

樹木希林という女優が夫をどれほど愛し続けていたのかに興味はないのだが、この「一片の純なものがある」という言葉が妙に印象的だった。自分自身の好き嫌いを振り返り、この「一片の純なものがあるか」、否かが重要だったのだと初めて気づいた。

(出典:アゴラ『「一片の純なもの」樹木希林さんの言葉は本からの学びにも通じる』11月2日)

山本“KID”徳郁さん 格闘家
享年41 9月18日がんで死去

山本“KID”徳郁公式ブログより

山本さんの死を機に、がん治療の発展を誓う医学者の中村祐輔さん

K1の山本KID選手が胃がんによって、天に召された。私はある事情から、山本選手がグアム島で療養を受けていることを知っていた。死後、ネットに書かれた心ない言葉が議論になっていたが、彼は最後までK1選手としての復活を願っていた。そして、家族、特に幼い子供さんたちのために病と闘っていた。最後までK1選手の誇りをもって逃げずに戦っていたのだ。心からのご冥福を祈るのが人の道だと思う。

(出典:アゴラ『KID選手を悼む:国内で失われた希望を海外に求めるがん医療でいいのか?』9月23日)

仙谷由人さん 元内閣官房長官、元衆議院議員
享年72 10月11日、肺がんで死去

Wikipedia

田原総一朗さんの追悼ブログ

彼は、僕がとても信頼している政治家だった。そしてなにより、ひとりの人間として彼を尊敬していた。仙谷さんは、ほんとうに一本筋の通った、気骨ある政治家であった。享年72。僕よりひと回りも年下だ。あまりに早すぎる。残念で言葉もない。

(出典:アゴラ『僕が知っている仙谷由人さんのこと』10月27日)

仙谷氏との出会いを機に研究人生の転換点を迎えた中村祐輔さん

がんを克服する。この一助となるために日本に帰国したが、心が折れた時に励ましていただいた方が、肺がんで天に召されてしまった。7年前の渡米前の挨拶をさせていただいたのが最後となった。シカゴで学んだこと、日本が世界と競争するためのがん医療の方策など、是非、話をしてみたかった。帰国の挨拶もできず、残念だ。

(出典:アゴラ『仙谷由人元官房長官逝く』10月17日)

園田博之さん 衆議院議員、元内閣官房副長官
享年76 11月11日、肺炎で死去

公式ブログ

平成政界史の分析に定評がある日本経済新聞の清水正人編集委員

自民党を二度離党し、政界再編の見果てぬ夢を追った。それもあって一度も閣僚にならなかったが、時の首相からしばしば調整力を高く買われた「無冠の仕事師」。晩年は財政・社会保障改革を政界再編の軸と思い定め、消費税率の10%への引き上げの道筋をつける裏方も担った。

(出典:日経電子版 政治アカデメイア『政界再編追った「無冠の仕事師」園田博之氏 』11月20日)

大西宏さん マーケティングコンサルタント、アゴラ執筆メンバー
享年71 11月24日、がんで死去

ブロガーの大先輩として大西さんを尊敬していた徳力基彦さん

日本で2003年頃から始まるブログブームの過程において、田中善一郎さんの「メディア・パブ」と、大西宏さんの「大西宏のマーケティング・エッセンス」の2つのブログは、マーケティングとメディアの2つの分野に特に興味があった私自身、毎日のように尊敬の念や憧れを抱きながら読ませて頂いていたブログです…(略)…お二人のようなプロのメディアマン、プロのマーケターによる情報発信は、まだまだ珍しく、本当に貴重だったんです。当時のブログを書いている人には、いわゆるネット系企業の人が多かった中で。大企業出身のお二人のブログは、NTT出身の私にとっても重要な道しるべとなるブログでした。

(出典:徳力基彦氏 note『二人のアルファブロガーとの永遠の別れと、最後の記事から受け取ったものへの感謝』12月14日)

勝谷誠彦さん コラムニスト
享年57 11月28日、肝不全で死去

公式ツイッター

動画番組で最後のゲストとなった編集長・新田

58歳の誕生日まで8日という早すぎる死。しかし、それもまた勝谷誠彦としての生き様だったのかもしれない。細く長く無難に生きるより、太く短く命を燃やす。世の中にメッセージを轟かせ、人々が考え、問題を気づくきっかけを与えてこられた。若輩の私には到底真似できないことだが、奇しくも最後の対談相手になった者として、メディア人としては「バトン」を受け継いだような思いもある。

(出典:アゴラ『勝谷誠彦さん、享年57。我が心の師匠、永遠の旅立ち』11月28日)

ジョージ・H・W・ブッシュさん 第41代アメリカ大統領
享年94 11月30日死去

Wikipedia

アメリカ歴代大統領の通信簿』の著者、八幡和郎さん

湾岸戦争では見事な勝利を収めたのに、経済がぱっとせず、対立候補のクリントンに”It’s the economy, stupid”(経済こそが重要なのだ、馬鹿め)などとこき下ろされて再選に失敗した。息子が大統領になる幸運に恵まれたが、自分のスタッフだったチェイニーやラムズフェルドの暴走には不満そうだった。

保守的であるが、インテリで中庸を得た良識人で人間的にもバランスが取れており、実務能力にも長けた人物として尊敬を集め、期待もされていた。フランクリン・ルーズベルトののち、そういう正統派の経歴を持った大統領を見いだせなかったアメリカ人は、こんな人物は悪い人であるはずがないと信じ、「なりたい人より、させたい人」としての期待をかけた。ただ、彼がテキサスの荒々しいビジネスの中で育ち、怪しげな友人を多く抱えていることは忘れていたのである。

(出典:アゴラ『死去したブッシュ(父)とはどんな大統領だった?』12月1日)

鴻池祥肇さん 元防災相、参議院議員
享年78 12月25日死去

参議院サイト

共産党参議院議員、小池晃氏

エレベーターでお会いするたびに「天皇制さえ認めてくれたら共産党入ったろかと思うてるんや。ほかはいいこと言うてるんやから」と。いつも「憲法守るんだから認めてるんですよ」とお答えするとニコッとして「もっと頑張らんとあかんよ」と。気骨のある政治家でした。合掌。

(出典:小池氏ツイッター 12月30日)

亡くなられた皆様のご冥福を慎んでお祈りいたします。
アゴラ編集部