平成の30年で失われたものとは

平成がスタートしたのは1989年1月8日であった。この年の4月に3%の消費税が導入された。1986年頃から始まった地価や株価など資産価格の高騰はのちにバブルと呼ばれた。1989年に入ると日銀は公定歩合を数度に渡り引き上げ、完全に金融引締策へと転向。それでも、バブルの勢いは年末まで続き、日経平均株価は、1989年の大納会の大引けで38,915円を付け、これがそれ以降30年以上にわたる株価の最高値となった。

いわゆるバブル崩壊が始まった。地価や株価の急落によって景気は悪化し、物価が低迷しいわゆるデフレが生じた。この後失われた30年の原因は、1989年4月に導入された消費増税によるものとの見方も一部にあるようだが、それによる個人消費への影響などより、バブル崩壊による影響が当然大きかった。

日本での雇用体系の変化も賃金の上昇を妨げる格好となった。年功序列や終身雇用という体制が崩れてきた。また、パソコンの登場によって労働を取り巻く環境も大きく変化してきた。1990年あたりにDOS/Vが登場し、1991年にWindows 3.0が発売された。1995年のWindows95の発売あたりから急速に職場や家庭内でのコンピュータ化が進む。

ちなみに日本の人口は2008年の1億2808万人がピークとなり、減少傾向となっている。

日経平均は1万円の大台を割り込み、ドル円は100円を割り込んだ。サブプライムローン問題からリーマン・ショックが起き、ギリシャの財政問題から欧州危機が生じた。日経平均は一時8,000円を割り込み、ドル円は80円割れとなった。

物価の低迷により金利も抑えられた。長期金利は1999年2月5日に2.440%をつけたが、それ以降は2%が壁となり、日銀の量的・質的緩和政策からマイナス金利政策、イールドカーブコントロールの導入などにより、長期金利は一時マイナスに転じる事態となった。

しかし、世界的な危機の後退によって、米国を主体に世界的な景気が回復したことで、リスク回避の反動が起き、ドル円や日経平均も回復基調となった。ただし、米株の主要3指数が過去最高値を更新しても、日経平均は1989年の大納会の大引けの38,915円に届くようなことはなかった。

平成の30年で失われたものは物価や地価、金利、株価といったものが挙げられるが、日本の人口の減少などとともに日本経済を引っ張ってきた企業そのものの衰退も挙げられるのではなかろうか。

この30年間、世界経済を牽引してきた企業はIT関連やハイテク部門が多く、米国や中国、韓国、台湾などに多かった。日本企業も貢献はしていたものの、アップルやアマゾンのような企業が生まれることはなかった。技術力はあってもそれを生かし切れなかった面もあったのではなかろうか。


編集部より:この記事は、久保田博幸氏のブログ「牛さん熊さんブログ」2019年1月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。