子育て支援における企業負担

与謝野 信

子連れ出勤の議論から見えてきたあるべき「負担」の配分

アゴラにおいて自民党渋谷総支部の若手5名による子育て支援策に関する連載を掲載している。

自民党の地方議員は人数の割にブログサイトなどでの政策発信が少ないように思える。Facebookや個人のブログで活動報告したり区政報告のチラシをPDFでアップするようなケースが多いようだが、これだと各議員のサイトに直接アクセスしなければならず、コアの支援者以外への広がりが難しい。政治家は普通なるべく多くの有権者に情報発信したいので、現状に課題を感じている議員も多い。

しかし自民党は各区に区議が10名以上いるような大所帯のケースが多いので、情報発信に限らず「まとめる」のが大変である。「区議団便り」みたいな形で会派の議会での活動報告することはあっても、機動的に一つのテーマで寄稿するというのは珍しいケースであろう。自民党の他の区の若手も是非このような同一テーマに関してグループで寄稿するような新しい形の情報発信をいろいろと試してもらいたい。

前置きが長くなったが、今回のブログのテーマは同じ「子育て支援」という課題をよりマクロの視点で論ずることである。

先日、宮腰光寛少子化対策担当相は子連れ出勤などの取り組みを推進する方針を打ち出したが、「子連れ出勤」は現実的で無いなどの批判があがっている。上記の渋谷若手による寄稿でも岡みちる氏が現状での難しさを論じている。

私も、特に勤務先が通勤ラッシュの問題がある都心部の場合、「子連れ出勤」というのはあまり現実的ではないと思うが、子育て負担の配分に関して社会全体として見直しが必要だということも感じている。本来の意図とは違うだろうが、少なくとも「子連れ出勤」という概念は子育ての負担を社会の構成員の中の誰がどのように負うべきか再考する機会を与えてくれる。

1つ目のポイントはネットでも議論されていたが「子連れ出勤=ママの職場に行く」ことではないはずだ。理論的には当然パパの職場に同行というケースもあり得るはずである。そして2つ目のポイントは、これまた多くの批判があった「子供を職場に連れていったら、仕事ができなくなる」というものだ。

ここで社会全体として「子育ての負担」を誰がどのようにするべきかという議論を考えてみよう。この議論のためにあえて(通勤ラッシュなどでそもそも子連れ出勤など不可能という議論は置いておいて)「子連れ出勤」が普通になった社会を考えてみよう。

基本的に男性が子連れ出勤をする社会を想像すると、子育ての負担を現状より父親が担い、さらに勤務先の会社における生産性が大幅に下がるであろう。ここで発想の転換が重要なのだが、「男性が子連れ出勤をする仮の社会」と「現状」を比べると、「現実社会=現状」は男性と会社にとっては負担の少なく、その分女性の負担が大きい社会ということがわかる。

言い換えれば、現状では待機児童の問題が発生した場合、男性はキャリアを犠牲にすることなく仕事を続け、会社は労働者のライフサイクルに関係なく安定的な労働力の供給を受けている反面、女性が育児に専念(もしくは大幅に負担)するという「負担の分配」がおこなわれているのが「現状」である。

「子連れ出勤」の議論は図らずも「育児の負担の配分」が「会社」「男性」「女性」という三者の間では不均衡に女性に偏っていることを露わにしてくれるのである。

話をよりマクロで論じるために「会社」という概念を整理しよう。ついつい「会社=経営者=上司たち」と考えがちだが、会社の利益は様々なステークホルダーに分配される。ここでは会社は株主のものという原則論にのっとり、「株主」と「労働者(男性と女性)」という区分で考えよう

さらにマクロの視点で見ると「株主」は集合体として公開株をはじめとるする全ての株式を保有していることになる。細かい議論は割愛するが、「集合体としての株主」の利益は株式指数TOPIXのような全株式の時価総額加重平均指数のパフォーマンスに代表される。TOPIXのような指数のリターンは長期的には日本の経済成長率に依存する。経済成長率は生産性と労働人口の増加に依存するので「株主」は労働力の安定的供給と少子化対策から直接的に利益を受けるのである。

つまり「子育て」を女性が負担して男性の安定的労働力供給を維持して、会社にも迷惑がかからない社会では、企業(=株主)は経済成長という果実を手に入れつつ、応分の負担をしていない可能性がある。

日本のように新卒一括採用がメインで労働流動性が低い社会では労働者としては子育てのためにキャリアを中断することは生涯所得に大きな影響を及ぼす。また終身雇用をベースとすることにより会社は安定的な労働力を確保でき、かつ大幅な賃金上昇に苦しむこともなかった。父親が働き母親は専業主婦で家族4人を支えるといった「昭和の家族像」は父親の(社宅などの福利厚生を含む)総収入が家計を支えるのに十分な場合は持続可能だった。

しかし平成の長期経済停滞により日本の企業は雇用をなるべく確保しつつ人件費などの各種経費の削減を推し進めたため「平成の家族像」は共働きの夫婦が主流になっている。昭和の企業は家族4人を養えるだけの給与と福利厚生を出すことにより、終身雇用の労働者のライフサイクル上起こるであろう「子育て」の負担を被っていたが、平成の企業は「子育て」の金銭的負担を給与や福利厚生の削減を通じて減らしてきたといえよう。

企業が平成の停滞期を通じて、一人の給与所得では家族4人を養えないほどの給与を出さなくなった(つまり金銭的子育て負担を被らなくなって)といえども「株主」も平成の長い期間、他の先進国と比べてもひどい株価の低迷に苦しんできたので、経済低迷の「負担」は負ってはいるのである。しかしアベノミクスは、特に日銀の金融緩和の一環でETFを購入するなどして、「株主」に「株高」という直接の恩恵を与えてきた。一方賃金は十分に上がらないので、物価上昇率は一向に目標の2%に届く気配がない。企業は株価が上昇していても金銭的子育て負担を放棄したままである。

「株主」は平成のデフレ停滞からアベノミクスでいち早く息を吹き返したが、その恩恵を働き盛りの子育て世代は実感できていない。夫婦共働きで得られる世帯収入と子育て負担のバランスが悪い、つまり仕事と育児の両立に忙しい割に家計が十分高くないから生活が楽になっている実感がないということであろう。金融緩和で株価を下支えをしている現状では「株主」が「育児負担」の分配においてより大きな役割を果たすべきであろう。

子育ての負担を考えるとき、父親の育児参加の少なさへの不満が指摘されるケースがあるが、育児の負担を担おうとする意識のある男性たちでも多くが会社における「働きながらの育児参加」への理解の無さを問題視している。彼らの多くは社会の理解を求めて制度や会社内での人々の考え方が変化することを望んでいる。一方、これらのことは民間の私企業の中で起きていることであり、政府などが介入できる余地が少ないとも思われている。

しかし上述のようにマクロ的視野で見れば、終身雇用と非流動的な労働市場の組み合わせにより価格も供給も安定した労働力を享受している企業とその企業の収益の最終的な受益者である株主はアベノミクスの直接的な恩恵を受けつつ、そもそも経済成長に欠かせない労働人口の増加(つまり長期的には人口の増加)を必要としているのだ。彼らは「子育て」とは無縁どころか、株価上昇による経済成長の果実を得るという観点からも、積極的に子育ての負担を享受すべき立場にあるといえよう。

つまり「女性」「男性」「会社」間の負担の再分配において、そもそも「株主」はもっと負担を負うべきであるのだが、「男性」の負担を増やすにあたっても「会社の理解」が必要であり、ここでも会社の果たす役割がある。

さて具体的に会社に子育ての負担の一部を負ってもらう場合、どのような形が理想的であろうか。「子連れ出勤」のような形で会社に一部の負担してもらうというのはおそらく効率的ではないであろう。株主への課税(キャピタルゲインや配当金に対する課税)という形で負担してもらうのが一つの考えである。

ただ政府を通じた所得の再分配でもなんともならない部分もある。例えば子育てに関わる給付・助成金の類が増えるのはもちろん子育て夫婦からすれば歓迎であろうが、保育所に子供を預けることができないで女性がキャリアの中断を余儀なくされるなどの問題は解決できない。直接的に子育て支援につながる政策としては会社が夫婦(特に育休取得率が低い男性)が育休を取得しやすい環境を作ることがあげられよう。財政的な面では職員の育休取得率の低い企業には法人税の税率を引き上げるなどの措置、もしくは会社側で育休取得時に収入減が無いように補填するなどの措置が考えられる。

日銀のETFの購入など金融緩和は株価を押し上げる効果が見られたが、物価上昇率が目標の2%に達しないのは、賃金の伸び悩みで「デフレマインド」が払拭できないからという解説がなされている。一方で「株主」は株価が上がれば直接的な利益が得られるわけであるから、本来なら企業が賃上げを断行して企業内の利益分配を見直すのがデフレ退治という経済政策の観点からすると理想的である。

しかし次善の策として税制改正を通じた所得の再配分(株主から育児世帯への所得移転)や育休促進という形の負担(最終的には企業のコストが増大することにより株主の利益が減る)をすることにより社会全体で見た「子育ての負担」のリバランスが可能である。少なくとも「子連れ出勤」よりはこのような負担拡大の方が企業としてもありがたいであろう。


編集部より:このブログは与謝野信氏の公式ブログ 2019年2月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、与謝野信ブログをご覧ください。