写真の絵は、私が小学生の頃に書いた母の絵です(^ ^)
私の母は、いわゆる「田舎の長男の嫁」です。祖父が生きていた頃には、盆と正月に親戚一同20~30人が集い、その切り盛りをしていました。田舎ゆえに、近所付き合いも濃密で、無下には出来ません。
加えて、父の自営業を手伝っていたので、授業参観には仕事の合間に、砂や砂利を積んだ軽トラックで来ていました。仕事から家に帰れば、腹を空かした3人の息子が待っています。
私の物心ついてからの記憶の限り、母がお洒落やお出かけなど、自分のことにお金を使う姿を見たことがありません。息子の私から見たら、完全な亭主関白状態でした。
そんな母と、ある日2人で話すことがありました。母は、「私の生き方を全ての人にわかってもらおうとは思わない。わかる人だけわかればいい。」と言っていました。
母には、家族の犠牲の意識も後悔の念も、微塵も感じられない口ぶりでした。自らの意思で、父というパートナーを選び、何があっても一緒に生きると覚悟を決めたのだと思います。私は『母のプライド』を見た気がしました。
母というパートナーがいたからこそ、父はやりたいことを実現出来ました。私がALSになり心配事は尽きないと思いますが、これからは2人の時間を大切に過ごして欲しいです。
また、この場を借りて、いつもやりたいことをやらせてくれる、妻に感謝します。ありがとうございます(^ ^)
この記事は、株式会社まんまる笑店代表取締役社長、恩田聖敬氏(岐阜フットボールクラブ前社長)のブログ「片道切符社長のその後の目的地は? 」2019年2月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。