安保国会を懺悔する:三浦瑠麗さんとの対談①

細野 豪志

2019年1月、国際政治学者・三浦 瑠麗さんによる書籍『21世紀の戦争と平和:徴兵制はなぜ再び必要とされているのか』が発売されました。それに関連し、「安全保障」に関する三浦さんとの対談が実現致しましたので、こちらに掲載いたします。

(細野) 三浦さんが書かれた『21世紀の戦争と平和』、白状すると、まだ一章しか読んでいません。しっかりした本なので、流し読みはできないなと思いながら、移動中の新幹線で読んでいます。三浦さんはメディアにも出ておられるし、話す機会も多くてすごく忙しいでしょう。よくこれだけしっかりした本を書かれたな、と。しかも子育てまでしながら!

(三浦) まぁ6年かかっちゃったので、そんなに褒められた話ではないですけどね(笑)。でも最近、トランプ以降はとりわけ国際情勢が動いてきたじゃないですか。だからかえってそうした国際秩序変動を踏まえられてよかったなって思いますね。

(細野) 中身はかなり、センセーショナルですよね。シビリアンコントロールは平和には結びつかない。民主主義は戦争を起こし得るみたいな話ね。思い切ったことを書かれていますね。

(三浦) 私は戦争と軍隊の研究を米国から始めて、イスラエルやイギリスに広げてきたけれども、そういう問題は、戦後ずっと平和で軍を持っていない日本にとっては関係のない話だと思われがちです。ただ、最近レーザー照射の事件をきっかけに、にわかに日本にレリバンスができちゃったなと思うんです。日本は引き続き平和国家だけれども、民主国家としての同じ特性は持っているだろうと。

(細野) 徴兵制を導入すれば、国民が戦争について自分のこととして判断する(逆説的に言うと、徴兵制がないと民主主義は戦争を起こす可能性がある)というロジックは、際どいところまで行ったなと思いました。かなり反応があったでしょう?

(三浦) ありがたいことに書評などで反応はいただいているのですが、実はまだ反論が乏しいんです。あまりに敷居が高かったからかな(笑)。脊髄反射で反応するネットの議論などはありますが、しっかり読んで反論するのには根気が必要ですからね、しっかり議論しようという雰囲気が日本にないと困りますね。

(細野) ではもう少し時間をかけていろんな反論が出てくるかもしれませんね。

(三浦) この前、あるリベラル系の媒体の取材をお受けしたのですが、本来、アメリカではリベラルはこういう提案をするんですよね、という話になって。あまり注目されないんですけど、徴兵の復活を提案するのは黒人の議員さんだったりするんです。リベラルの思想を突き詰める努力は日本ではあまりなされてないじゃないですか。

(細野) 安全保障のテーマというのは、まずその人のバックグランドなり、所属なりから、こういうことを言うっていうのがルール化されていて、それに当てはめて議論する傾向がありますからね。これまでの議論からすると、三浦さんの問題提起は超越してるなぁって印象はありました。

三浦さんは、著書の中で、アメリカと日本の関係は、盾と矛と明確に分けられない時代に入ったと指摘して、安保法制を評価されている。残念ながら、2015年の安保国会では、安全保障環境の変化についての建設的な議論はほとんど行われなかったし、その後も変わってない。こうした現状というのをどう見ておられますか。

(三浦) 中国の勢力伸長や北朝鮮の核の脅威などの本質的な変化はいくつか語られていたけれども、安保法制の導入をめぐっては、ほとんど憲法解釈をめぐる話で終わってしまった。佐藤正久さんが作った動画みたいに脅威を煽る側と、いや冷戦期と今だったらそんなに変わらないじゃないか、むしろ冷戦期の方が核戦争の脅威があったじゃないかという立場との二項対立になってしまったと思いますね。その裏で、隠されていた問題があります。米国の内向き化、帝国からの撤退傾向についてです。日本では政府は米国の退潮傾向は決して認めません。むしろ議論は、そこに向けられて欲しかったというのはあります。対案路線の野党は、同盟の信頼性が揺らいでいることを政府が国民に正直に話さなかったことを衝くべきだった。


(細野)野党が安保法制に反対するだけで終始した責任の一端は私にもある。率直にお詫びをしなければならない。

当時、民主党の政調会長をやっていて、集団的自衛権を巡る議論は前の年から出ていたんだけど、なかなか党内議論が進まなかった。私は、何とか安保法制の民主党案をまとめたいと思っていた。100点の案はできなくても、最低限、尖閣諸島、できれば朝鮮有事への対応まで法律に書くべきだと考えていた。何とか民主党案をまとめるところまでいったが、国会には提出しないということになってしまった。私は、民主党の役員会で、民主党案を国会に提出して、与野党の党首会談をやるべきだと主張したけれど、賛同者はいなかった。早い段階で、提出していれば与野党合意の可能性はあったと思います。

結果として、対立の構図だけが鮮明になり、最終的には強行採決という形になってしまった。あそこで、日本の安保の議論というのは前全時代的なものに戻ってしまった。

(三浦) あれは大きな転換点だったと思いますね。まず日米安保をめぐっては911やイラク戦争の頃には日本にまだ危機感があったはずなんですよね。湾岸戦争のトラウマがあって、なんとか頑張らなければいけないという機運があったのに、安保法制で55年体制的なものへと逆流してしまった。もう一つは、野党に安保法制や憲法解釈をめぐる亀裂があったために分裂したということが歴史的な転機ですね。

思うんですけどね、細野さんの政治理念は私の思想とも近いと思うんですよ。社会政策はリベラル、経済政策は成長重視だけど分配もする。安全保障はリアリズム…

(細野) 広い意味でのリアリズムですけどね。本で三浦さんが言っているリアリズムと比較すると。

(三浦) 我々は大国ではないので、自ずと制約が多い。おそらく政策の選択の幅は限られた範囲に収束していくと思うんですね。ですからそこの違いはその都度議論したらいい。

ただ、この政治的立場が実はとても少数派なんだという調査があります。2016年のアメリカ大統領選のときに、人々の価値観調査をした教授がいるんですけど、社会政策リベラル、経済政策現実派の人びとは人口の4%しかいなかったんですよね。

(細野) アメリカで!? それは面白いなぁ。

(三浦) 本当は経済・社会の二軸だけでなく、3次元なんですね。安保もあるから。でもアメリカは安保にそれほど大きな違いがない。民主党も共和党も両方とも安全保障を重視しますし、超大国の地位を維持しようとしてきましたから。そういう意味でいうと、トランプが新たに取った層は4%の対角線上にあるもの。経済政策はポピュリズムで、社会政策は右派をとる層を動員したんですよ。二大政党の本流の思想ではない有権者が、社会政策的な憎しみを煽られつつ分配の期待を嗅がされて、トランプに投票したんです。もちろん、伝統的な共和党支持者もトランプに入れていますが。

実はサンダース陣営にも、社会政策の部分では、環境政策ではリベラルな人もいるけど、女性に差別的だった人も結構いたわけです。ですから、民主党は反差別で動員するより経済的ポピュリズムに訴えた方が動員の幅が広がる。いまアメリカで起きている現象はそういうことです。

そこで日本に立ち返って考えると、日本の政党を分ける軸はどこに引いたらいいんだろうかと。この(アメリカでは)4%の少数派は社会政策リベラルと組むか、経済政策リアリストと組むしかない。そうやって連合を組んで、二大政党なり四党なりになるべきなのに、「なんで安保で割れるんだ?」っていうのが、私が言いたかったことです。本来政争が水際までですむはずの安保で割れたらおしまいじゃないかと。

アメリカのイラク戦争だって共和党の中で反対した人はいたわけで、細野さんが民主党の中で安保法制に賛成するという立場は役職上はあり得なかったかもしれないけど、本来あるのが普通の国じゃないですかね。

(細野) 今でも覚えているシーンがあって、一回だけ市民運動している皆さんの前にいったんですよね。それまでは、正直違うかなと思って距離を置いていたんですけど、党から頼まれて行ったんです。行くからには嘘は言えないから、「近くは現実的に」ということを考えれば、ある程度法対応は必要だ、っていうことを言ったら、結構野次られたんですよ。

私以外の人は安保反対だってことを言って喝采だったんだけど、私はほとんど拍手を受けることなく帰ってきたのね。あそこで、その時初めて民主党を出るっていう選択肢を考えたんです。

(三浦) ああ、そう。外側からはそういう内部対立は見えなかったんですよね。

(細野) そうなんですよ。その後、2017年に中央公論で提案した憲法改正が民進党内で受け入れられず、党を出ると言う結論になったんだけど、流れは2015年にできていたのかも知れない。2015年の安法法制の議論は、日本の国会の大きな曲がり角だった。当事者として、そこに自分の思いがあったんだけど、やりきれなかったと言うことが、自分の中で残っているんです。


編集部より:この記事は、衆議院議員の細野豪志氏(静岡5区、無所属)のオフィシャルブログ 2019年3月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は細野豪志オフィシャルブログをご覧ください。