イチローの「革命」を日本社会は生かせたか?

鈴木 寛

4月1日に新しい元号が「令和」と発表され、平成の御世も残すところ半月余りとなりました。時代の区切りを示すニュースが続々と相次いでいますが、大リーグ、シアトル・マリナーズのイチロー選手の引退もまた日本人に平成の終わりを実感させる出来事になりました。

マリナーズ公式ツイッターより:編集部

気がつけばアメリカに移籍し、19年目を迎えていました。大リーグ活躍のハイライトとなるシーズン最多の262安打をマークしてからも15年が経ちます。いま大学生の教え子たちが物心つく頃には「大リーガー・イチロー」のイメージが定着していたわけですね。ただ、私個人は、兵庫生まれで阪神大震災の折に実家も被災したことから、オリックス時代のイチローさんに故郷が勇気付けられた時の記憶が強く残っています。

スポーツはときの世相を反映し、アスリートの生き様に学ぶ方も多いでしょう。イチロー選手は若い頃から揺るがぬ信念を持っていました。有名な話ですが、プロ入り当初の指導者から独特の「振り子打法」を矯正するように指示されても従いませんでした。まだ平成に入ったばかりの頃、スポーツの現場は指導者の教えが絶対の時代です。一般社会ですら、学校で先生から習った通りに正解を導き出す「マニュアル型教育」が当たり前だったわけですから、昭和的なキャリア形成とは異なる「新しい日本人像」の萌芽を私は当時感じました。

そして、そのスタイルはアメリカでも遺憾なく発揮されました。90年代後半の大リーグは、1998年のマグワイアとソーサという2人の強打者による本塁打の歴史的記録レースに見られる「パワープレー」が席巻していました。そこに2001年、イチロー選手がマリナーズに入団し、1年目から首位打者、盗塁王など数々のタイトルを獲得。俊足巧打、華麗な守備で魅了したプレーは、アメリカ人に野球の原点を思い起こさせ、「技術立国・日本」の象徴のようにメディアでも称えられました。

まさに野球選手としてのイノベーターだったイチロー選手でしたが、その一方で、私たち日本社会は、彼の生き方に学びながら、昭和期のモデルを脱した人づくりの仕組みを平成のうちに作ることができたでしょうか。2020年以降、教育改革が本格的に社会実装されていくとはいえ、教師、保護者などの大人たちがまだまだ古い価値観に囚われていないでしょうか。

先日、私が実行委員長を務める「全国高校生マイプロジェクトアワード」では、地域活性化や防災推進、小児がんの子どもたちにウィッグを提供するなど素晴らしいアイデアが披露・表彰されました。令和の御世に、各分野の“イチロー”さんを、もっともっと送り出していかねばと思います。

鈴木 寛  東大・慶応大教授、社会創発塾塾長
1964年生まれ。東京大学法学部卒業後、通商産業省に入省。山口県庁出向中に吉田松陰の松下村塾に刺激を受け、人材育成の大切さに目覚めて大学教員に転身。2001〜2013年、参議院議員(2期)。民主党政権下では文科副大臣などを務めた。政界を離れてから東大・慶応大の教授を史上初めて兼任。2015〜2018年、文部科学大臣補佐官を4期務め、アクティブ・ラーニングや大学入学改革を推進した。社会創発塾公式サイト

編集部より:このエントリーは、TOKYO HEADLINE WEB版 2019年4月8日の鈴木寛氏のコラムを転載させていただきました。掲載を快諾いただいたTOKYO HEADLINE編集部、鈴木氏に感謝いたします。オリジナル記事をご覧になりたい方は『鈴木寛の「2020年への篤行録」』をご覧ください。