規則は、規則であるが故に遵守されるものではなく、規則の主旨に従って遵守されるものである。では、実質的に規則の主旨に適っている限り、形式的に規則に違反しても許されるのか、逆に、実質的に規則の主旨に反していても、形式的に規則に準拠していれば許されるのか、これらは法哲学的な難問である。
規則の主旨が守られているのに、表層的に規則違反になるのは、主旨に反した規則が存在するためである。それは、変化の激しい現実のなかで、規則の主旨に遡って、規則を適切に改定することが限りなく不可能に近いからである。
そこで、難問の解決策として、規則を主旨、即ち根底の原理原則を表現する少数に絞り込んで、細かな規則を廃止することが考えられる。根底の原理原則は不変不易のものだから、見直す必要はなく、というよりも見直すべきではなく、見直すべき細則的な規則は、現実には見直せないのだから、いっそ、ないほうがいいということである。
実は、今の金融庁の規制についての考え方は、まさに、この方向にある。金融庁は片仮名が好きで、規則をルール、規則の根底を支える原理原則をプリンシプルと呼んでいるが、金融規制のあり方としては、明確にルールからプリンシプルへの転換を志向しているのである。
この方針転換の意味は、金融行政の目的である金融サービスの利用者の利益保護と利便性の向上は、ルールの徹底によっては実現し得ず、現に事実として実現できていないことを前提に、金融機関のプリンシプルに従った創意工夫によって実現される、あるいは実現されるべきだということである。
もちろん、歴史的には、ルール遵守の徹底が必要だった局面もあったのである。方針転換とはいっても、局面が変われば金融行政の課題も変わる、ただ、それだけのことである。しかし、転換の背景には、ルール遵守の徹底が深刻な弊害をもたらし、それに対する金融庁の真摯な反省があったことは間違いない。
例えば、金融機関は、投資信託事業において、過度に投機的に思える投資信託を、真の顧客利益に反していると思われるなかで、法外な手数料等を課しつつ、大量に販売してきたわけだが、その販売行為は、完璧なルール遵守のもとでなされてきたのである。
投資信託に限らず、顧客の真の利益に反し、不適切としかいいようのない行為も、ルール遵守の徹底によって、責任を問われる可能性のないものとして正当化されてしまう、この規制の無力というよりも、規制の弊害を示す事実の発見は、金融庁の行政方針の転換にとって、非常に重要な役割を演じたのであった。
森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
HC公式ウェブサイト:fromHC
twitter:nmorimoto HC
facebook:森本紀行