情報は錯綜しているが、建築としては屋根が焼け落ちただけで、壁や鐘楼、背後の構造は無事らしい。ただ、火事や消火活動で傷んでいるだろうし、支えを失った形になっているので、不安定で、突然崩れるという可能性も否定できない。
屋根の構造材のかなりは13世紀以来のものだが、屋根の上の風景は、19世紀に中世建築の価値を発見したヴィオーレ・ル・デュックという建築家が創り出したものだ。非常に個性的な修復をしたので、中世のオリジナルとはだいぶ違うものになっている。それは、ちょうど、昭和初年に再建された大阪城天守閣が、豊臣時代のものでも徳川時代のものでもない独創的な、しかし、美しい姿であることとよく似ている。
崩れ落ちた尖塔ももとより10メートルも高くなっているし、デザインも華麗なものに代えられている。さらに、12人の聖人のブロンズ像が尖塔を囲み、そのなかには建築家自身をモデルにしたものもある(これらは最近、修理のために下ろされて無事)。
問題は、ステンドグラスだ。このカテドラルには正面と南北の側面に10メートル以上の直径を誇る薔薇窓がある。このうち、もっともオリジナルに近い状態で残っている北側側面のステンドグラスは無事だったようだ。南側面は19世紀に修復されたものだが、これは損壊したと伝えられている。正面のパイプオルガンの裏にあるものは、少なくとも全壊ということはなさそうだが、詳細不明だ。
聖堂内の美術品、そして、聖遺物は無事に運び出されて市役所で保管されているということだ。
正面の外観は無事であるが、側面からみると壁だけが残っているイメージになる。
いずれにせよ、再建するとなると、焼失前なのか、ヴィオーレ・ル・デュックの改変を排除するのかが大問題なのだ。
なぜノートルダム・ド・パリは特別なのか?
第一に、パリの都市構造だ。ノートルダム聖堂があるシテ島は大阪の中之島のように都市の中心にある(東京にそういう場所はない)。北の対岸にはパリ市役所が、南にはソルボンヌ大学がある。カテドラルは、セーヌ川に浮かぶ船のようだ。しかも、大きい。いってみれば大阪城が中之島にあるようなものだ。
第二に、この場所は中世ヨーロッパ世界の創始者であるクロービスの王宮があったところだ。つまり西ヨーロッパ発祥の地なのである。フランスもドイツもここから始まったのだ。
第三に、そこに13世紀の人々は世界で最大級でもっとも美しいカテドラルをつくった。そして、ナポレオンの戴冠とかナチスからの解放を祝った場であるとかいう思い出もある。
花の都パリをめざしたものが目にするのは、エッフェル塔でありノートルダムだ。そこの旅するものも、住む者も初めてパリへ来てエッフェル塔やノートルダムを見たときのイメージを昨日のことのように憶えているはずだ。
私も役所に入ってしばらくしたころジュネーブへの出張の帰りにパリへやって来てノートルダムを訪れ、オルガンの音を聞き、いつかこの街に住みたいと留学の準備をしようと心に決めた瞬間のことを鮮明に覚えている。
それから、いろんな人と訪れ、鐘楼にのぼり、ミサに出たり、遊覧船から眺め、トゥールダルジャンで食事をしながらとかいろんな思い出がある。
こういう存在は、世界でもまったく類例のないものだと思う。幸い、壊滅的な損害は無かったようだが、元の姿に戻るのは何十年もかかるのではないか。再びかつての姿を再び見るチャンスはない可能性も思うと、空白感は計り知れないおおきなものだ。