世界にある200足らずの国のうち君主国は45と普通言われている。ただし、16はイギリス連邦(コモンウェルス)構成国のうち、エリザベス女王を元首としている国なので、君主は30人である。
そのなかで、エンペラーを名乗っているのは、日本の天皇陛下だけなので、よその国王より格上だと思っている人がいるし、たしかに、ちょっと上等なイメージはあるが、あまり厳密な話ではない。
あまり見当外れの自慢を外国人にすると笑われかねないので、少し正確に書いておこうと思って、『令和日本史記』でも扱ったので、その抜粋である。
まず、エンペラーとかキングとか英語で呼ばれるといっても、それぞれの母国語ではそれそれの表現がある。
東洋でも中国などは皇帝だったし、日本では天皇だ。そして、皇帝と国王には差がある。もともと中国では王といっていたが、春秋戦国時代に何人もの王が出現したので、始皇帝は伝説上の三皇五帝にならって皇帝という称号を採用した。
その後は中国の君主は皇帝を名乗り、それは清朝の“ラストエンペラー”宣統帝溥儀までつづいた(袁世凱が中華帝国皇帝を短期間名乗ったことはある)。
中国の皇帝に朝貢し冊封を受ける君主は皇帝を名乗れず、王を名乗った。ほかの国でも、高麗とかベトナムの王が皇帝を短期だけ名乗ったこともあるが、対内的なものにとどまったようだ。
それでは、日本の天皇はどうかといえば、そもそも、漢字の肩書きなどなかったので、オオキミとかスメラギとか呼ばれていたらしい。ただ、律令制が確立すると天皇という表記が国内法制上もとられたのだが、口語的に引き続きスメラギと読んでいたわけでテンノウだったのではない。
天皇という漢字表記がいつ確立したのかと言えば、日本書紀にも書いてないので不明である。私は漢字表記は試行錯誤的にいろいろされていたのが、律令制度のなかで天皇に統一されたのだと思う。
そして、その淵源は、649年に即位した唐の高宗が天皇を名乗ったのにならったと見ることがもっとも自然だと思う。アメノシタシロシメスオオキミといったり、天孫降臨神話もあるからぴったりだという意識もあったのかもしれないので、理由は一つでない可能性もある。
いずれにせよ、遣唐使の廃絶から明治維新まで、日本と中国の正式の国交はなかったので、そういうことが問題になったことはない。ただ、明治になって、朝鮮と国交を結ぼうとしたら、朝鮮側が、「皇」とか「勅」とかいうのはけしからんと駄々をこねた。しかし、清国のほうは、日本を朝鮮などと違う上下関係のない相手として受け入れたので、議論にもならなかった。
そして、朝鮮も日清戦争の結果、独立が認められたので、大韓帝国と大韓皇帝を名乗るようになった(1897~1910年)。
一方、エンペラーの語源はローマのインペラートルで、命令者とか軍司令官を指したらしい。シーザーに由来してカエサルも皇帝のことを指す言葉として使われ、それがドイツ語のカイザーやロシア語のツァーに転嫁していった。
中世ヨーロッパでは、神聖ローマ帝国のみで皇帝が使われていたが、ナポレオンが皇帝を名乗ったのを機に、オーストリアやドイツでも名乗り、イギリスもそれに対抗してインド帝国を創って英国女王が女帝を名乗ったこともあるし、ブラジルやメキシコに皇帝が出現したこともある。
そして、中国の皇帝はたしかにキングに対するエンペラーにふさわしいから皇帝をエンペラーと翻訳するのが慣例となり、日本も天皇をそう訳すことを希望したからそうしただけである。
エンペラーがキングより格上かと言えば、エンペラーの権威のもとにキングがいるときは上下関係があるが、そうでないときは、別である。また、外交儀礼上は、すべての君主は同格で、序列は就任順であって、たとえば、日本の天皇が各国の君主より上位に扱われることはない。ただし、格上であるようなイメージがないわけではない。
英語でエンペラー(皇帝)を名乗るのは、いまは、日本の天皇だけである。戦後のある時期には、エチオピアの皇帝と、場合によってはイランのシャーもこれに加えて、世界で3人が最後のエンペラーと呼ばれていた。その後、エチオピアとイランは君主制が廃止になったが、そののち、中央アフリカのボカサという大統領が皇帝を名乗って国際的にも認知されたことがある。
それでは、エンペラーはキングより格上なのかと言えば、その帝国内における皇帝と王には上下関係はある。同じローマ・カトリックのなかでなら、なんとなくそういう感じもある。しかし、イギリス女王と日本の天皇と比べてどうかなどというのは意味のないことである。
そして、君主同士のあいだでは、肩書きにかかわらず、即位順だし、それは国王でなくなったあとも維持される。だから、エリザベス女王の即位60周年の式典の時には、ルーマニアの元国王が最上位で、今上陛下は第9位だったのである。
もし、日本の天皇が海外で特別に大事に扱われるとしたら、それは、日本の国力がゆえであり、この国が衰微すれば天皇陛下の扱いも低下するのだから、新陛下に恥をかかせたくなければ、日本経済の復興に全力を挙げるしかない。