独週刊誌シュピーゲル先週号(4月20日号)は特集「誰がそんなものを信じるか」という見出しでキリスト教の現状を辛辣に報告していた。このコラム欄でも「無神論者の牧師が日曜説教をする時」というタイトルでシュピーゲル誌の記事の概要を紹介した。
ところで、そのシュピーゲル誌最新号(4月27日号)は先週号の記事に対する読者の声を掲載していたが、神の存在、キリスト教の教えを擁護する声が多かったのには驚いた。特に、過去の音楽、絵画、建築の背後に創作者の神への信仰があったことを想起させる読者の声には「まったくその通りだ」と相槌を打ったほどだ。
世界の音楽、絵画、建築にはキリスト教の影響が深く刻み込まれている。神への信仰が作曲家、画家、建築家のインスピレーションを鼓舞し、多くの作品を生み出していったことは事実だ。キリスト教文化の影響が皆無の音楽や絵画などの芸術作品は欧米社会では見つけるのが難しいだろう。
神童・モーツアルトは出身地のザルツブルクの大司教を嫌っていたが、彼が作曲した多くの作品にはやはり神への信仰からのインスピレーションが見られる。バッハのアヴェマリアだけではない。ミケランジェロの絵画は聖書の物語を描いた作品が多い。その絵画をみた多くの人々は国、民族を超えて感動を受けている。
逆に言えば、キリスト教が存在しなかった場合、これまでわれわれが享受してきた音楽、建築、絵画は誕生しただろうか、という問いが生まれてくるのだ。ヘンデルのメサイア、モーツアルトのレクイエム(死者のためのミサ曲)やミケランジェロが設計したバチカンの「サン・ピエトロ大聖堂」もひょっとしたら生まれなかったかもしれない。芸術家と信仰との関係はキリスト教社会だけではない。仏教圏でも多くの画家や建築家がその仏教の教えから多くの芸術作品を創作している。
それでは、キリスト教の世界観、文化を失いつつあるわれわれの世代は次の世代にどのような音楽、絵画、建築を残すことができるだろうか、という新たな問題が出てくる。
シュピーゲル誌が指摘するように、21世紀に生きる人間は聖書が描くイエス物語、聖母マリア物語をもはや信じなくなってきた。キリスト教離れを含む宗教一般に対して懐疑的になってきた。それでは21世紀の芸術家はどこから創作のインスピレーションを得るだろうか。「ポスト神」時代の芸術活動はどのようなものだろうか。ビックデータが芸術家のインスピレーションの源泉となるのだろうか。バッハもモーツアルトも生まれない世界になっていくのだろうか。
世界的ベストセラー「サピエンス全史」の著者、イスラエルの歴史家、ユバル・ノア・ハラリ氏はシュピーゲルとのインタビューの中で、
「人類(ホモ・サピエンス)は現在も進化中で将来、科学技術の飛躍的な発展によって神のような存在ホモ・デウスに進化していくだろう。20世紀までは労働者が社会の中心的な役割を果たしたが、労働者という概念は今日、消滅した。新しい概念はシリコンバレーから生まれてくる。例えば、人工知能(AI)、ビッグデータ、バーチャル・リアリティ(VR)、アルゴリズムなどだ。そして人類は神のような存在に進化するホモ・デウスの時代が到来する」
と述べている(「人類は“ホモデウス”に進化できるか」2017年3月26日参考)。
パリのノートルダム大聖堂は長い年月を費やして完成された。そこにはやはり神への信仰があったはずだ。その大聖堂が火災で損傷を受けた。フランス国民は大聖堂再建に乗り出すことを決意し、再建費用も集まったが、大聖堂の建築を支えた神への信仰はあるのだろうか。それとも、大聖堂再建は歴史施設、観光名所の再建、修復工事の一つに過ぎないのだろうか。
ハラリ氏が予言していたように、人間はホモ・デウスに進化し、神がモーセに約束した「カナンの地」の代わりに、火星や土星への宇宙が約束の地となったとしても、モーツアルト、ミケランジェロらの作品に対する憧憬、感動はそのDNAに刻み込まれているだろうか。答えを得る前に、次から次へと問いが浮かんでくるのだ。
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「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年5月2日の記事に一部加筆。