生命保険会社が、外国社債などのリスクの高い資産への運用をしようとしている。農中や地方銀行などの金融機関も、CLOと呼ばれる米国の事業会社へのローン債権を裏付けとした高リスク商品を積極的に購入している。これらは国内での安定的な資金運用先がなくなったからだ。
今や国債の金利は10年物に至るまでマイナスで、それよりも期間が長いものでも15年債でやっと0.16%、一番長い40年債で0.574%(本年5月22日現在)とまるでお話にならない水準だからだ。
しかし資金の運用に困っているのは機関投資家や金融機関だけではない。一番困っているのは生保や金融機関を通して大切な資産を運用している我々一般国民だ。1999年に日銀が緊急措置的政策としてゼロ金利政策を採用して以来、途中で2度の政策解除があったものの、リーマンショック以降はこれが定着し、今では超金融緩和政策の下でマイナス金利政策になっている。我々はもはやこれが異常事態であるという感覚さへ失っている。
歴史を紐解くと、西洋では宗教上の理由からお金を貸して利息を得ることが禁じられた時代があったし、イスラム教では今でも禁じているが、それ以外の時代はシェークスピアのベニスの商人を引き合いに出すまでもなく、お金を借りれば元金だけでなく利息も支払わなければならないのが当たり前で、それで経済が回ってきたのだ。
40代以上の人は覚えているだろうが、90年代の初めには預金金利は高かった。日銀の資料によれば、91年11月の銀行の定期預金金利は平均6.031%だった。これが下がり続けて今では1000万円を2年の定期預金にしても0.011%しかもらえない。普通預金に至っては0.001%なので、1000万円を1年間預けて利息が110円。手数料のかかるATMで夜間に現金を1回引き出せば、利息を受け取るどころか赤字になってしまう。
生命保険についていえば、90年代の初めに個人年金保険に入っていれば満期時には支払保険料の2倍以上の年金を受け取ることが出来たし、養老保険も同様に満期保険金をたっぷりもらえた。それが今では個人年金保険や養老保険は、貯蓄性商品としては魅力がほとんどなく、ただの保証だけの商品になってしまっている。
こうした預金の利子や生命保険の年金等は、高齢者の公的年金の補完や現役のサラリーマン家庭の家計の支えとなって来たが、今ではそれがなくなってしまった。公的年金の先行きについて不安を感じている中で資産運用がままならないため、年金生活をしている高齢者だけでなく、30代~50代の人達も先行きに不安を抱いて暮らしている。
このような状況で、プライムフライデーなどで政府が消費喚起策を講じても、国民は守りに入っているのだから消費は盛り上がらないし、GDPもさえない状況が続くのは当然のことだ。なにしろ民間最終消費支出はGDPの約6割を占めているのだから、これが不振だと、いくら金利を低くして設備投資や住宅投資を喚起しても、GDPは低迷する。
経済理論的には、金利が低下すれば資産の現在価値が上昇し、また増加した流動性が株式市場などに流れ込んで株価などが上がり、その資産効果によって消費が増えると言われてもいるが、事はそう簡単ではない。
日本の家計の金融資産構成は現金・預金が50%以上で、保険・年金等を合わせると80%を超える。これは株式や投資信託が5割近くを占め、株価等の上昇にすぐ反応するアメリカとは違う。日本では、銀行預金や生保の個人年金等からいくら受け取ることが出来るかで、消費行動を変える人が多いように思う。
5%の金利の時に1000万円の預金があれば税引後で年間約40万円、月に直せば3万円ちょっと入ってくる。年金生活者ならこれを公的年金の足しにするだろうし、現在収入がある人であれば、きれいな服を買ったり、旅行して美味いものを食べたりするだろう。こうしたことがすべて消えてしまっているのが現在の世の中なのだ。ゼロ金利ないしマイナス金利は、債権者から債務者へ莫大な所得を移転させており、資源配分のゆがみが生じている。
一方、そうは言っても20年近くゼロ金利・マイナス金利を続けてきた今では、仮に金利を引き上げるとなると、困る人がたくさん出てくるのが問題だ。
まず金利を引き上げるという噂が出ただけで、株や債券は下落するだろう。そしてそれによって国債を大量に抱えている金融機関は大きな損を抱えることとなる。また、低金利を利用して多額の借入れをしている企業も大変だ。何兆円もの借入れしている企業も決して少なくないが、金利が1%上がるだけで各企業の利益は何百億円も減ってしまう。また、為替も円高に振れるだろう。
そしてなにより一番影響を被るのは、国債を大量に購入し続けている日本銀行と国債の元利払いをしなければならない日本国だ。日銀は資産の急速な劣化に苦しむし、日本国は国債の利払い費の急増に直面する。
日本は安易に金利を引き上げられない状況になっている。さりとてこのままマイナス金利政策を続ければ、金融機関や機関投資家の運用難と国民の消費の冷え込みは、ますますひどくなって行く。どうやら日本はどこかで道を曲がり損ねて袋小路に入ってしまったようだ。
有地 浩(ありち ひろし)株式会社日本決済情報センター顧問、人間経済科学研究所 代表パートナー(財務省OB)
岡山県倉敷市出身。東京大学法学部を経て1975年大蔵省(現、財務省)入省。その後、官費留学生としてフランス国立行政学院(ENA)留学。財務省大臣官房審議官、世界銀行グループの国際金融公社東京駐在特別代表などを歴任し、2008年退官。 輸出入・港湾関連情報処理センター株式会社専務取締役、株式会社日本決済情報センター代表取締役社長を経て、2018年6月より同社顧問。著書に「フランス人の流儀」(大修館)(共著)。人間経済科学研究所サイト